働き盛りで誰もがなりうる「若年性認知症」に… “今まで”が変わっても、希望を持つ家族の“日常”
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2020年10月、長崎県諫早市、デイケアセンター・Hyggeに歌声が響く。溝上文徳さん(56)の声だ。横には妻の由佳さん(52)が寄り添う。

由佳さんが最初に異変を感じたのは、文徳さんが53歳の時だった。それまで文徳さんは、建設業の仕事と、遊び一筋で宵越しの金は持たないような、豪放磊落な性格だった。だが、いつしか「もったいない」が口癖の“節約家”になっていた。さらには同じ事を何度も言ったりお酒が入ると、場の雰囲気をわきまえず急に「わいどん(お前たち)は、ばかさ」などの暴言を吐いたりするようになった。

性格が、変わったのだ…。働き盛りの文徳さんを襲ったのは、認知症だった。(長崎文化放送制作 テレメンタリー追憶 働き盛り襲う認知症』より)

■同じビデオを何回も見て、同じ話を何度も

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文徳さん、大好きなゴルフの放送を見ながら「笹生優花というのはすごかばい。16番ば見てみい。16番(ホール)」とつぶやく。その後も「16番ば見てみい16番」「16番でさ」と繰り返す。

同じビデオを何回も見て、同じ話を何度もしてしまう。

その後も「どういうことやてなってね、もうびっくりしてさ。ほらほらほらほらほらほら…入ったろ?すごかろ?」と呼びかけるも、由佳さんは「また言いよっと」と返すことしかできない。

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ある日の昼食、11時19分になり、由佳さんが「もう食べるなら(ご飯)つぐよ」と語る。すると文徳さんは「まだ11時半になっとらんもん」と頑なだ。由佳さんが「11時半にならんばダメと?」と聞き返すと「そうたい」と一言。

昼食は午前11時半と決めている。由佳さんが「絶対ね?もうできたけん食べてもよかよ。半にならんばダメと?」と聞くと、「そう」と一言。

文徳さんは「どういうことやって思うもんね。16番でさ」と同じ話を始めた。

1つのことや好き嫌いのこだわりが強くなり、思ったままの行動が増え、会話もかみ合わず、口数も減った。

■「脳の萎縮が確認できる」症状に、仕事もリタイア

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​​​​​​11時半になった。由佳さんが「よかと?食べて」と聞くと、文徳さんは「食べてよかさ」と話す。由佳さんが「できた時食べたらよかとに。熱かうちに食べたらよかとに。何で11時半しかダメと?」と聞くと文徳さんからは「そういう決まり事のあると、俺には」との返事だった。

甥っ子の結婚式の時には、新婦側の記念撮影に入り込んだり、法事の日に、ゴルフの約束を入れたり、バスに背広やカードケースを忘れて帰って来たり、昼食と夕食を間違えたり、日にちや曜日を間違えたり、飲酒時の暴言では、「周りから避けられている」という噂を度々聞くようになり、お酒を断った。

次第に外出は減り、携帯電話が鳴ることも掛けることも減り、車の運転も危なっかしく、好きなゴルフも行かなくなった。

仕事では、すでに金額を決めた工事の見積書を何回も作り直して持って行ったり、同じものを2度注文したり「午前10時に現場」と言われているのに「昼に行く」と言ったり…。仕事に支障を来し、関心も向かなくなって、リタイアした。

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54歳のときに病院に連れて行き、MRI検査を受けると「脳の萎縮が確認できる」と告げられた。

55歳のときに診断された病名は、「前頭側頭型認知症」だ。

人格や理性などをつかさどる「前頭葉」と言語や記憶などをつかさどる「側頭葉」が萎縮し、判断や思考、理解力などが低下、感情も鈍り、同じ事を繰り返す「常同行動」などの症状が現れる指定難病だ。症状が進めば生命の危険もある。

平均およそ51歳で発症している「若年性認知症(64歳以下)」の中では、アルツハイマー型、血管性認知症に次いで、およそ1割を占める。

国内ではおよそ1万人に1人の割合で発症し、患者は1万数千人。50代~60代での発症が多く、働き盛りで、一家の家計を支える現役世代も多く、休職や退職、解雇などで収入が減り、困窮する家庭もある。

また介護する人は「配偶者」に集中することが多く、親の介護と重なる場合もある。

由佳さんは「会社をしてますけど主人が動いてる頃からしたら売り上げも3分の1。仕事ができなくなったというのが一番大きなこと。今細々ですけどやっていってます」と現状を明かす。

■病気という自覚もなく…繰り返される“オルゴール語り”

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文徳さんは、由佳さんと1990年に結婚。建設業「溝上組」を立ち上げ、会社を着々と成長させてきた。とび・土木・鉄骨・橋梁工事などを請け負いながら会社は着々と成長。一時は従業員は7人まで増えたが、今は3人になってしまった。

脳の萎縮を宣告されてからは徐々に売り上げが下がり、半年以上赤字が続いた。子どもは長男(30)、長女(29)、次男(26)の3人。幸い、発症した時は、全員独り立ちしており、養育費の心配はなかった。

発症から4年。4つの病院を回ってようやく最適と思える医療と出会うことができた。最初は認知症とは思い至らず、途中「うつ病」と誤診されたこともあり、医療費の助成や障害年金など社会支援制度の手続きが遅れた。

今はほぼ自宅で過ごし、将棋麻雀、塗り絵などできるだけ頭を使って、病の進行を遅らせようとしている。

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主治医の小鳥居諫早病院の宮本峻光医師(75)が自宅に訪れた。宮本氏の前でも「いや、しかしね。あの笹生優花というのは、すごかばい」と同じ話を繰り返す「オルゴール語り」と呼ばれる症状が続いた。

由佳さんは「私は、基本、介護というよりも怒っていることが多いですね。でも本人は、のほほんとしてるんですけど…」と話している間にも文徳さんは「笹生優花というやつは、16番でツーオンして、イーグルチャンスにつけるとですよ」と繰り返す。

文徳さんに「前頭側頭型認知症とどういう風に付き合っていこうと思いますか?」と投げかけると「自分的にはまあ今のままでいいかなと思っとりますけどね。はあ。でもね、やっぱりね、あの笹生優花というやつはすごかよ」と答える。

難しい質問は、気のままに答えたり、「分からない」と答えたりする「考え不精」も症状の一つだ。

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由佳さんは「最初分かった時は、半分逃げたくもなったんですけど、私が介護しなかったら子どもに負担がいく。それを思ったら、それはできないと思って、今まで食べさせてもらった分、介護していかないと、とは思っていますが…。状況がどう急に変わるかが分からないので、その時その時、宮本先生や認知症の家族の会の人たちのアドバイスを受けながら…。妹と。妹がいつもそばで協力してくれるので、そこを頼りに頑張るしかないと思っています。本人は、今日も確認したんですけど、病気であるっていうことを分かっていないんですよ。自分が病気であるっていうことを。病気が分からないのがいいのか、分かって生活していく方がいいのか。どうなっていくのか…という感じですね」と涙ぐむ。

宮本医師は「予防法・治療法というのは今のところないんですよね。色々飲み薬も出てますけれども、じゃあこの薬を飲んだら大丈夫、進行しませんよとか、逆に治りますよとかっていうのがあまりいわゆるエビデンスが得られていないんですね。少し進行を遅らせるとかっていう薬はあります。でもその薬と同等あるいはそれ以上に家族の対応、社会での生活をどういう風にしていくかというのが、本人を大きく支えてくれますので、やはり家族・社会の理解、協力というのは一番大事なところですね」と話す。

■「普段は病気も忘れて笑って過ごせるのが、一番いいかな」

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今は月に一度通院し、2カ月に1度病院が開く「認知症の人と家族の会」を息抜きや情報交換、支え合いの場として利用している。

「認知症の人と家族の会」で、「朝は何時ごろ起きられます?」と質問された文徳さん。「16番で480ヤードば」と答えてしまった。

「歌うとが好きなんです俺」と話す文徳さん。時には、得意の歌を披露することもある。

歌い上げたのはスターダストレビューの『追憶』だ。「身体から出て行って ぬくもりなんかなくて いいの あなたに夢の中で もう一度抱かれたなら拒みきれない そんなそんな気がして」と、歌い上げた。

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由佳さんは、文徳さんについて「頑固者でしたけど、優しいっていうか。面倒見がいいところですかね。子どもたちにも好きなことをさせる。私より優しい気持ちは強いかなって思います。今まで守ってもらった分、私も守れるかは分からないですけど、やっていくしかないかなという感じです。普段は病気も忘れてる感じで笑って過ごせてるのが、一番いいかなって自分も幸せだなあって今感じてます」と話す。

文徳さんに「奥様のどういうところが好きですか?」と質問すると「よう分からん。難しか。質問が」と笑って答える。

病はゆっくりと進行し治療法もなく、その先行きに光は見えない。今はただ、夫の笑顔と共に過ごすことのできる、かけがえのない日々が1日でも長く続くことを、祈ることしかできない。

文徳さんは「がんばらんばたい」と話す。

■家族も親族も勢揃いすると「やっぱりね、楽しかですね」

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2020年11月、この日は10カ月ぶりに家族全員が揃い、親族も集まった。

孫と一緒にパズルを始めた文徳さん。五十音のパズルを埋めていく。「立興、『む』どこいった?『む』がないよ、『む』がない」と言いながら笑顔を見せる。

次男の馨介さん(26)は、プロサッカー選手になる夢をかなえ、モンテネグロの2部リーグでプレーしていたが、父の病を知って帰国し、九州リーグでプレーしながら家業を手伝っている。

馨介さんは「(仕事は)分からないことだらけですけど、必死についていって頑張っているところです。お母さんも頑張ってくれているので、仕事は今のところはあると思うんですけど、自分もこうやって自由にサッカーをさせてもらったんで、親孝行というか力になれればなって」と話す。

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文徳さんはこの日、家族の前でスターダストレビューの『木蓮の涙』を歌い上げた。

長女の朋子さん(29)は「ちょっとでも帰って来ると、(文徳さんが)『おいしかもんば食いに行こうか』とか言って、連れて行ってくれたりしてて。今回帰って来て、これだけ結構、毎日のように孫と遊んで刺激があったのに、私たちが帰ったら、そういう毎日がまた無くなって、1人でぼうっとする時間が増えると、また(認知症の症状が)進んでしまうんじゃないかとか思ったりして。『自分たちの家庭を壊してまで、帰って来てほしくないから』と母は言ってくれるんですけど、遠くで何もできないからすごく複雑っていうか」と話す。

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長男の遼平さん(30)は「家に帰って来るたびに、病が進んでいるなという感じはします。今後どう変わっていくかわからないですけど、お母さんに負担がかからないようにサポートしていけたらと思っています」と話す。

文徳さんは「楽しかですね。やっぱりね。朋子も来てくれたしね。月2つって書いてさ(朋子)、照らすって意味やもんね」と、名前の由来について話した。

朋子さんは「『暗闇の中でも、皆のことを照らせる人になってほしい』って、名前の由来は聞いてたんですけど、それを聞いた旦那は、結婚式で『月は太陽がないと照らせないから、僕が太陽になります』と言ってました。ハハハハハ」と、結婚当時のことを振り返った。

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2014年の朋子さんの結婚式。発症前の文徳さんは、こんな謝辞を述べていた。

「本日は皆さんご多用の中、お忙しい中にも関わらず、弘樹(こうき)と朋子の結婚披露宴に御臨席賜り、ありがとうございます。来年4月には、私、『じいじ』になる、快挙を頂きました。今後ですね、新しい命と共にこの3人が、手と手を取り合ってですね、楽しく明るく未来のある家庭を築いていってくれればと、心から切にお願い申し上げまして、報告とさせていただきます」。

■認知症の人を元気づける“魔法の言葉”は「ありがとう」

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家族での集まりでは、「頭ヶ島大橋ばね…」と話す文徳さん。この日は、橋の建設作業の“オルゴール語り”が続いていた。

「ご自身の病気のことはどういう風に思ってますか?」と投げかけると、文徳さんは「うーんとですねえ、今ですねえ…。え、今どがんなっとっと、俺?今、若年性になっとっとかな。思考回路がちょっと変わっていったな、分かっとるたい…」と答えるのが精一杯だ。

続けて「奥さんが一生懸命支えられてますけど、そういう姿を毎日最近見て、どういう風に思われますか?」と質問する。文徳さんは「まあ、そうですね。そこそこね、助けてもらいよっとですけど。自分なりにですね、どうすればいいとかなというのが、分からんとですよね。やっぱりね」と話す。

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「これから皆さん、ご家族で支え合って、まだまだ人生長いんで」と話すと、黙り込んだ後に、「でもやっぱり頭ヶ島大橋ば架けた時、道津運送が来て…右側ば全部むしりとっていくとですよ。今度そいばね、鳥小屋の方に持って行くわけですよね…」と“オルゴール語り”が始まってしまった。

その橋は、今も島の暮らしに役立っている。家族や会社を支え、頑張っていたあの日。認知症は決して他人事ではない、誰もがなりうる病気だ。たとえ認知症になっても諦めず、楽しく、豊かに、希望を持って。味方になってくれる人たちもいる。

ところで、認知症の人を元気づける“魔法の言葉”があるという。言ってみて欲しい。「ありがとう」。(長崎文化放送制作 テレメンタリー『追憶 働き盛り襲う認知症』)

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「先生、お産です。」 コロナの中の出産
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