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 三沢光晴の12年目の命日、13回忌を迎えた6月13日に配信された『三沢光晴メモリアル2021 ~この日を忘れない~』のメインイベントを務めたのは、6月6日のさいたまスーパーアリーナにおける『サイバーファイト・フェスティバル2021』で武藤敬司を撃破して5年5カ月ぶりにGHCヘビー級王者になった丸藤正道とGHCナショナル王者の杉浦貴というプロレスリング・ノア旗揚げメンバーの2人。

 丸藤はGHCジュニア・ヘビー級王者・小峠篤司、杉浦はGHCジュニア・ヘビー級タッグ王者・原田大輔を従えてのヘビー&ジュニア王者のタッグマッチは、ノアの創始者・三沢に捧げるにふさわしい見応えのある攻防になった。そして勝負を決したのは杉浦。GHCヘビー級戴冠第1戦となった丸藤をフロント・ネックロックでギブアップさせたのである。

 試合後、杉浦は「GHCおめでとう。ただ、この状況わかるよね? そのベルトに挑戦表明させてもらいます。俺は丸藤正道が持っているGHCのベルトが欲しい。丸藤正道とGHCのベルトを懸けて戦いたい。よろしく! 以上!」と丸藤のGHC奪取を祝福しつつ、挑戦表明。「丸藤が持っている」「丸藤と」と強調しているところがミソで、2人には特別な物語があるのだ。

 出会いは遡ること24年前の1997年。当時、埼玉栄高校3年生でレスリング部に所属していた丸藤は大阪国体に向けた大東文化大学の合同合宿に参加したが、そこにいたのが自衛官で27歳の杉浦だった。ちなみに杉浦はこの大阪国体のグレコローマン82キロ級で優勝している。

「100人以上いた中で何人か“この人、ヤバそうだな”っていうのがいたんですよ。その中のひとりが杉浦さんでしたね。その時、名前は知らなかったけど“ヤバそうだな。スパーリングしたら殺されるな”って思いましたよ(笑)」とは、丸藤の思い出話。丸藤は98年に高校を卒業すると、全日本プロレスに入門。その2年後に杉浦が入団してきた時には「あの時のヤバい人だ!」とすぐにわかったという。

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 丸藤が2年先輩だが、杉浦が9歳年上という2人の歩みは、まさに戦友と呼ぶにふさわしい。2人は07年10・27日本武道館でディーロ・ブラウン&ブキャナンからGHCタッグを奪取したが、それは杉浦にとってヘビー級での初めてのベルトだった。11年11・27有明コロシアムで丸藤が2回目の頚椎損傷からの復帰戦で杉浦を指名したが、それは「何かがあった時に、この人が最後でもいいかな」と思える相手が杉浦だったからだ。

 その後、13年6月13日の三沢光晴メモリアルナイトでの一騎打ちで勝利した丸藤の「この数年間、大きい怪我と欠場を繰り返して、正直、自分に自信がなくなる時もありました。杉浦貴に勝つことができて、本来の自分の姿を取り返せたと思います」という言葉が印象的だった。

 ノア・マットの状況が目まぐるしく変わる中で、16年1月31日の横浜文化体育館では、鈴木軍に寝返った杉浦が丸藤からGHCヘビー級王座を強奪したが、丸藤の今回の戴冠はそれ以来のことだ。

 18年5月29日の後楽園ホールで丸藤の挑戦を退けた後の「過去とか未来とか、いろいろ意見があるだろうけど、俺は今日、丸藤とみんなの前で、後楽園で試合ができたことを誇りに思う。ノアがいい時も悪い時も、俺と丸藤はここで戦ってきた戦友だ。丸藤、ありがとう!」の杉浦の言葉も感動的だった。

 近年、2人がシングルで顔を合わせるのは『N-1 Victory』の公式戦で、19年は杉浦がフロント・ネックロックで勝利、20年は30分時間切れに終わっているが、今回の挑戦表明にあたって杉浦はコメントブースで「(GHCヘビー級のベルトを)何年かぶりに巻いた、ノアの顔に戻った丸藤正道からベルトを奪うのが一番オイシイし、やっぱりあと何年できるか…俺もマルさんもわからないんでね。ベルトを懸けて2人でやるっていうシチュエーションが大事だと思うんで」と語った。そう、丸藤と杉浦のGHCヘビー級選手権試合は特別なのだ。丸藤が初防衛をかける杉浦との一戦は、7月11日、仙台サンプラザホール大会にて行われる。

文/小佐野景浩

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