時代は“記録”よりも“記憶”?「死んだ父の日展」企画者が語る“終わりへのタブー視”
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「お父さん。いまどうしていますか。そちらでも忙しくしてますか。ときどき夢に出てきてくれてありがとう。できることなら、目が覚めても会いたいです。また娘を抱っこしてほしいし、一緒にごはんも食べたい。でもなかなか難しそうだから、また夢で会えたときは、せめて、ゆっくり話ができたらと願ってます」

 今月20日は「父の日」。話題を集めている「死んだ父の日展」では、亡き父に宛てたメッセージをオンライン上で展示。手紙の宛先は、戸籍上の父親に限らず、自身が父と認める人であれば誰宛でも応募が可能で、展示されたメッセージは自由に閲覧ができる。

【映像】「また娘を抱っこして…」実際に寄せられた“死んだ父”へのメッセージ

 「死んだ父の日展」はスマートフォンで故人を偲ぶサービス「葬想式」を展開する株式会社むじょうが運営。社長の前田陽汰さんによると、きっかけは葬想式のサービス改善のためのヒアリングで顧客から出た「“母の日”感がしんどい」という一言だった。

「母の日というとお花屋さんが『カーネーションどうですか?』とお店に並べる。(ヒアリングの中で)人によってはつらい日だったり、悲しみを思い出してしまう日だったり、二面性を持っている日だと知った。父や母を亡くしているからこそできる、父の日・母の日の在り方を作れないかと思った」(以下、前田陽汰さん)

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 そんな思いから「死んだ父の日展」を立ち上げた前田さん。高校時代は地域活性化で有名だった島根県・隠岐諸島の学校へ進学。思いの原点はこの地域で感じた“終わりをタブー視する”考え方だった。

「地域活性化で有名な地域の(高校に)進学したのですが、その地域に住んでいる土着の人は、自分が集落の“最後の一人”になりうることに対して、罪悪感や後ろめたさを感じていて生きていると知って。『経済は成長したほうがいい』という風潮がある中で、たたんでいく、終わっていく、看取っていく……終わりをタブー視しているというか、これらはあまりポジティブに語られない。『お疲れ様』と、人が住む役割を終えたような解釈ができるようにならないか。そうしないと、この地域の人たちは、イキイキと死ねないなと思った」

 地域活性化の現場を間近で見ながら、まちづくりにおける「終わり」を考えるようになった前田さん。去年NPO法人を立ち上げ「まちの終活」を考える活動も行っている。

 現在「死んだ父の日展」には、およそ100件のメッセージを掲載。前田さんは、それぞれのメッセージに「書く人の“死生観”が表れている」と話す。

「書く人の“死後感”が現れるといいますか。『また会いに来てね』や『たまには夢に出て来てね』など、そういった表現を使われる方が多くて印象的だった。『亡くなったらそれで最後』ではなく、亡くなっても、まだ(亡くなった父が)近くにいてくれるような、自分の心に生き続けているといった言葉を使う人が多かった。人によって死生観は違うが、メッセージを書く人たちの死生観は似ていると思った」

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 生きるもの全てが必ず訪れる「死」。前田さんは「死んだ父の日展」や「葬想式」を通じて「終わりへのタブー視を変えていきたい」と明かす。

「誰かが亡くなることも、その人がいた世界から、いない世界になるといった変化がある。だが、そこでもやはり死へのタブー視がある。『お墓参りしたいけど、聞きづらい』などもそうですね。タブー視されがちな死に関する変化に対して、もう少し優しいまなざしを向けれるように変えていきたい。それをビジョンに掲げて運営しています」

 話題のオンライン展示会「死んだ父の日展」について、ニュース解説YouTuberの石田健氏は「たしかに死をタブー視する風潮はある。こういった取り組みが出てくるのは面白い」と評価。

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【映像】亡き父にメッセージ「死んだ父の日展」
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