将棋界のタイトルホルダーの一人として活躍を続ける豊島将之竜王(叡王、31)。8月25日まで行われていたお~いお茶杯王位戦七番勝負では、藤井聡太王位(棋聖、19)に1勝4敗で敗れ、奪取はならなかったものの、防衛を目指す叡王戦五番勝負は2勝2敗と熱い戦いを続けている。普段から落ち着いた様子で、時折見せる笑顔とのギャップが、特に女性ファンからも支持されるが、その少年時代はどんなものだったか。当時から交流がある村田顕弘六段(35)が、いかにも豊島竜王らしいエピソードを紹介し、ファンの間で瞬時に話題となった。
豊島竜王と村田六段は1999年9月の奨励会同期。プロ入りも豊島竜王が2007年4月、村田六段が10月と半年違いだ。年齢は村田六段の方が4つ上だが、奨励会時代からよく連絡を取り、将棋の勉強に勤しんでいたという。村田六段は、ABEMAの中継に解説として出演。聞き手の飯野愛女流初段(34)に向けて、珍しい話をし始めた。
村田六段 奨励会に入会した時、富山に住んでいて、豊島さんは大阪でした。インターネットでやり取りして、将棋をしていましたね。
若き日の豊島竜王といえば、棋士室に毎日のように顔を出しては練習将棋を指す、熱心さで有名だった。ただ、後に将棋ソフト(AI)を用いるようになってからは、1人で自宅にこもって研究というのがメインにもなった。
村田六段 当時を思えばすごい変化ですね。毎日将棋を指しに来ていた少年が。
村田六段が中学2年生、豊島竜王が小学4年生のころから、インターネットでのやり取りは始まっていた。チャットでの会話は、実に“らしさ”が詰まっている。
村田六段 僕が学校であった出来事をチャットで送っていたんです。でも豊島さんの返信はいつも「ふーん」としか返してくれなかったんです。将棋の感想戦では、普通にチャットできましたから。日常の話には、無関心でしたね。しまいには、ローマ字で「hu」としか返ってこなくなって。「ふーん」とも返ってこない。そういう仲です。
仲がいいから、素っ気ない「hu」という返事も許されるのだが、これには飯野女流初段も爆笑することに。
村田六段 将棋以外の話は全部無関心でしたね。(将棋の話は)メールとかでも長文で、あの変化はなになにで、とか返してくれる。すごい極端ですね。
今ではタイトルホルダーとして取材を受ける機会も多く、「ふーん」「hu」で言葉を返すこともないが、このエピソードを聞いたファンの間では「これは流行る」「今年の流行語」「huって送ってほしい」という声が沸き起こっていた。
(ABEMA/将棋チャンネルより)