セルビア代表のドラガン・ストイコビッチ監督を右腕として支える日本人コーチがいる。“ピクシー”と名古屋でも共闘し、2010年のリーグ優勝に貢献した喜熨斗勝史だ。
そんな喜熨斗氏がヨーロッパのトップレベルで感じたすべてを明かす連載「喜熨斗勝史の欧州戦記」。第17回は、ワールドカップ前最後の活動に向けた代表コーチの仕事について語ってもらった。
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カタール・ワールドカップイヤーとなる今季、欧州サッカーもいよいよ本格的に始まりました。私は現在、日本でオフを頂いていますが連日連夜、約40人にも上るセルビア代表候補選手たちのパフォーマンスや動向をチェックする日々です。多ければ一日6試合を衛星放送で確認しています。
吉田麻也選手(サンプドリア→シャルケ)、伊東純也選手(ヘンク→スタッド・ランス)など日本人選手も含め、昨オフも欧州サッカー界は多くの移籍ディールがありました。セルビア代表選手たちも同様です。日本のサッカーファンの方に馴染みが深い選手でいえば、MFフィリップ・コスティッチがフランクフルトからユベントスへ移籍しました。GKプレドラグ・ライコヴィッチはスタッド・ランスからマジョルカに新天地を求めました。
新しい環境になるということはチャンスとともにリスクも混在します。例えばMFネマニャ・ラドニッチ。昨季ベンフィカでは出場機会が限られていましたが、今季加入したトリノではレギュラーを掴んでいます(公式戦4試合・2得点・1アシストを記録)。一方、セルビア代表のレギュラー格で、バーゼルからレッドブル・ザルツブルクへ加入したCBのストラヒニャ・パヴロヴィッチは3試合連続でスタメンでしたが、急に出場機会がなくなったりしました。
移籍をしなくても新しいシーズンになることで影響が出る選手もいます。スウェーデン1部のマルメにFWヴェリコ・ビルマンチェヴィッチ(21歳)という選手がいます。彼はほとんどの試合に出場して7試合で4得点・2アシスト。また欧州ではなくアメリカですが、昨年の日本代表との親善試合でも招集したLAギャラクシーのFWデヤン・ヨヴェリッチ(23歳)は10得点を取っています。
若手が台頭してきたのは喜ばしいことです。気になるのはトリノで背番号10番を付けるMFサーシャ・ルキッチ。昨年はほとんどの試合で出場したのにもかかわらず、新シーズンではなかなか出番がもらえていません。
シーズンごとにチームを取り巻く環境が変わるのは当たり前。ただ急に立場が悪くなった選手にはピッチ内外で何かあります。そういう時は本人にすぐさま連絡して、状況を確認するように努めています。そしてミスター(ドラガン・ストイコビッチ監督)らコーチングスタッフで共有しています。
こうした選手個々の状況確認をするのは代表コーチとしての仕事ですし、また9月にはネーションズリーグが再開されます(セルビア代表は24日にスウェーデンと、27日にノルウェーと対戦)。
すでにミスターとも連絡を取り合い、9月の代表合宿の練習メニューやスケジュールは完成。初戦のスウェーデン戦へ良いコンディションに臨むためのプランも用意しているのですが、選手たちの出場時間によって疲労回復メニューなど微調整は必要になります。
同時期にアメリカとエクアドルと親善試合を行なう日本代表はカタール・ワールドカップ仕様の26人を選出する方針のようですが、我々が戦うネーションズリーグは公式戦。勝たなければいけませんし、現状のベストメンバーを選ばなければいけません。細心のアプローチが我々スタッフには求められています。
そしてワールドカップ前最後の代表活動とはいえ、9月の招集メンバーがイコール、ワールドカップメンバーではありません。最終的な絞り込みはネーションズリーグ後。もちろんネーションズリーグとワールドカップを完全に切り離すわけではなく、ワールドカップでどれだけ戦力層を厚くできるかを計る上でも本気モードの公式戦が行なえるのは大きいです。近日中に離日しますが、セルビア代表の面々と再会するのが待ち遠しいです。
最後に、私個人の日本滞在時の活動を報告したいと思います。7月中旬にはセルビア共和国大使館にお招きされ、コヴァチュ大使と2時間30分ほどお話させていただきました。今年で両国の友好関係樹立140周年。両国の文化や教育方針など多岐の議題に触れました。セルビアにとってスポーツというのは大事な文化であり、互いに深い話ができたのは有意義な時間になりました。
また平塚時代からの付き合いがある岩本輝雄氏に会ったり、欧州人監督が指揮するJクラブの練習を見学させてもらったりもしました。そのなかでは私の欧州での経験を伝えることもあれば、欧州で感じているサッカー観の再確認もできました。
充電は充分。では、再びセルビアで戦ってきます!
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PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表コンディショニングコーチ