セルビア代表のドラガン・ストイコビッチ監督を右腕として支える日本人コーチがいる。“ピクシー”と名古屋でも共闘し、2010年のリーグ優勝に貢献した喜熨斗勝史だ。

 そんな喜熨斗氏がヨーロッパのトップレベルで感じたすべてを明かす連載「喜熨斗勝史の欧州戦記」。ついにカタール・ワールドカップに挑む今回は「W杯戦記」として、初戦のブラジル戦に向けた意気込みを語ってもらった。
 
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 今日24日22時(日本時間25日4時)、グループリーグ初戦を迎える我々セルビア代表はブラジル代表と対戦します。今回のワールドカップは通常と違って事前準備期間が短い大会と言われていますが、私はそう思っていません。

 同国コーチとして入閣した21年3月から1年9か月。時間は十分にありました。私がやるべきことはやってきたし、伝えるべきことも伝えてきた自負があります。ミスター(ドラガン・ストイコビッチ監督)ら他のコーチングスタッフとともにチームに落とし込んできたものを、我々の選手たちが出してくれると信じています。

 カタールには19日から入っています。セルビアで14日にチームが合流し、15日にバーレーン入り。18日にバーレーンとの親善試合(○5-1)を行ない、後半開始からは10月末に負傷していたFWドゥシャン・ヴラホビッチ(ユベントス)が出場できました。

 MFフィリプ・コスティッチ(ユベントス)、FWアレクサンダル・ミトロビッチ(フルアム)、MFサシャ・ルキッチ(トリノ)ら負傷者が多く、まだすべての練習に合流できない選手もいますが、20日の練習ではウォーミングアップは全員でできました。本大会までに何人戻って来られるかは言えません。ただ、万が一に備えて試しておきたい選手をバーレーン戦で起用できたのもプラスと捉えています。

 何よりも欧州シーズン真っ只中でのワールドカップ開催。前回もお話ししたように、いかに疲労を抜けるかが重要ポイントです。ブラジルの対策よりも自チームにフォーカスして最高のパフォーマンスに持っていくことに腐心しています。

 もちろん互いの距離感やサポートの仕方など“肝”の部分は抑えますが、相手はブラジル。手を変え、品を変え、何を仕掛けてくるか見えない部分もあります。

 どんなに戦術を落とし込んでも90分間のゲームのなかで漏れは出てきます。不測のアクシデントも発生するでしょう。当然、ブラジルも同様。互いに、そこを突けるか、突けないか。そのために必要なのは万全のコンディションと自信です。
 どこまで自分たちのサッカーができるか分からないし、やってみないと分からない。ただ読者の皆さんに伝えたいのは、私たちがやろうとしているのはどんな相手でも攻撃して得点を取って勝つこと。

 0-0で引っ張るのではなく、攻撃して勝つ。リスクを負うので守備が手薄になるかもしれないけど、たとえ2点奪われても3点奪える攻撃陣だと思っています。

 22日は長年の親友であるカズ(三浦知良)と(藤田)俊哉が会いに来てくれました。我々が泊まるホテルは中心街から離れている場所にあり、ファン・サポーターのワールドカップの盛り上がりをそこまで感じることはできません。

 私自身も高揚感が沸くのではなくあとあとジワッとくるタイプなのですが、こうして盟友たちが激励に来てくれることで徐々に“ワールドカップが近づいてきたな”と(笑)。練習もバーレーンキャンプ時とは違って、カタール到着後はバチバチと緊張感がほとばしってきています。

 まずはブラジル戦から始まるグループリーグの3試合。セルビアの“日本代表”として先のことは考えずに、目の前の試合に集中して臨みます。

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PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉家。プロキャリアはないが関東社会人リーグでプレーした経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月~96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年~99年:平塚フィジカルコーチ
99年~02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年~08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年~14年:名古屋フィジカルコーチ
14年~15年8月:名古屋コーチ
15年8月~:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月~12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月~: セルビア代表コンディショニングコーチ
22年~:セルビア代表アシスタントコーチ