「合議の中で誰も問題視しなかった。見ていただければ分かってもらえる」 映画『バイバイ、ヴァンプ!』が同性愛者を差別との批判にエグゼクティブ・プロデューサー反論
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 人気の若手俳優たちが出演している『バイバイ、ヴァンプ!』(14日から公開)に批判が集まっている。

 同作は茨城県のとある高校が舞台。主人公の親友・吾郎が人影に襲われた翌日、女装した同性愛者になって出現。クラス中が大騒ぎとなり、街には“ヴァンパイアが出現している”との噂が流れたことから、主人公たちは“ヴァンパイアに噛まれたことで同性愛者になったのでは”と考え始める。実は永遠の命を持つヴァンパイアたちが数百年の時を経て新しい王国の建設を計画。その計画にこの街を選んでいた…。というあらすじで、“青春×ホラー×ちょっぴりコメディ映画”だと謳っている。

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 公開に合わせ、男性でも女性でもないXジェンダーを表明している高校生が署名活動をChange.org上で展開、7000人を超える賛同が集まっている。発起人の高校生は、映画を見た上で「同性愛は“快楽”に溺れているだけで“愛はない”という表現があった」「“あいつ、俺のお尻狙っているかも”など、人前で性的接触を行うような認識」「“でも、ホモになるんだぜ”という差別的なセリフがあった」と指摘、公開停止を求めている。

 17日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、大阪の劇場で舞台挨拶を行なった直後のエグゼクティブ・プロデューサーの吉本暁弘氏、そして作品を鑑賞したオープンリーゲイで「fair」代表理事の松岡宗嗣氏を招き議論した。

■「様々な人が携わっているのに、誰もこの問題に気づけなかったのか」

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 ネット上での批判の高まりを受け、製作委員会では公式サイトに「この映画には一部、同性愛の方々に対し不快な思いを抱かせる表現が含まれているかもしれませんが、同性愛を差別する作品ではありません。愛とは自由であり、人それぞれの愛が尊重されるものであるというテーマのもと、製作されました。」とのコメントを掲載している。

吉本:(指摘されている)その部分だけを切り取って考えてみた時に、そのように映るかもしれないが、私どもは差別ではないと認識している。映画全体を通して見ると、同性愛だけがテーマではないし、人間愛、男女の愛、親子の愛、家族の愛など、色々な愛をテーマにしている。そして、これはコメディだ。軽く力を抜いて見られるものを見ていただきたいということで作った。私どもの周りに同性愛の方はたくさんいる。今はそれがオープンになっている時代だし、こういうものを笑って見られるものとして捉えていた。公開1年前には試写会をやって、私の周りにいる同性愛者の方たちにも見ていただいた。全体を通して見たときに楽しんでいただけたということもあるので、自信をもって出させていただいた。

また、(ガレッジセールの)ゴリさんや川平(慈英)さんや渡辺裕之さんなど、大勢の役者さんたちが台本を見て、自信をもって参加なさって、“きれいに表現したい”ということで作ってきた。(指摘されている)言葉だけを選んで見られると、どうしてもそういった捉え方になるのかもしれないが、全体の流れを通して見た時には理解していただけるのではないか。予告編でかいつまんでやった部分で一部の方たちに誤解を生んだことは我々も非常に反省しなければならないと思う。だが全体の流れとして、そんな不快なものを作ったという認識はない。それをまずご説明したい。

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池澤あやか(タレント):同性愛者の方にも見ていただいた時に、何か反省を活かした部分はあったのだろうか。それとも問題ないという判断になったのか。

吉本:僕は女性の同性愛者の方との接点はないが、男性の同性愛者の方はこの業界にもたくさんいる。そういう人たちに見てもらった時に、自虐的なものも含めて“おもしろいな”と軽く笑ってもらえる部分もあったので、その流れの中で作っていった。試写をやった後、編集を加えて今日まで来ている。チラシの表現の仕方と、予告編には問題があったのではなかろうかということで、予告編は公式のホームページ上からは削除している。

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松岡:私も同性愛者の1人として映画を拝見したが、予告編くらいひどい作品だったと感じているし、傷ついたし、憤りを覚えた。今おっしゃったコメントも、ほとんどが偏見だったり、間違っている部分が非常に多かったりしたと思っている。

この映画の問題点は大きく分けて3つあると思っている。1つ目が、同性愛というのは「性欲の塊」であって、「異性愛こそが愛である」という位置づけをしていること。2つ目が、同性愛という社会的マイノリティに置かれる人について、「噛まれると感染する」という位置づけにしていること。3つ目が、「愛は自由だ」と言いながらも、同性愛に対するこれまでの偏見を助長するだけであるという点だ。

詳しく説明すると、1つ目については、同性愛に“目覚めた”“走った”という言葉を使い、同性愛に“感染”した人たちがキスをしたり、身体をまぐわせたり、ということが教室などで突然始まる。先ほど「役者さんは自信をもって出られていた」ということをおっしゃっていたが、嫌がっている男性生徒に対して身体を密着させて擦ったり、男性器を強調したりする同性愛の教師として描かれている。これは明らかにセクハラと捉えられるものだし、同性愛者への偏見を助長していると捉えられても全くおかしくない。

2つ目については、例えば同性愛ではなく、人種や障害といった他のマイノリティだったらどう思うかと考えると、明らかに差別的で、成立するとは考えられない。

3つ目については、確かに映画の中では「愛の形は自由だ」という言葉が結構出てくるので、同性愛に対する直接的な差別の意図がないことは伝わってきた。だが、「街中が同性愛の街になってしまう」「同性愛に走るわけにはいかない」「あいつは正真正銘のホモだ」「もう尻は狙われている」、そして女性同士のキスを見た男子生徒が「レズっていいよな」「俺は死んでもそっちにいきたくない」といったひどい言葉の数々があった。

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松岡:ゲイやバイセクシュアル男性の自殺企図率は異性愛者の人の約6倍という調査がある。広辞苑で長らく同性愛が「異常性欲」だと書かれていたように当事者を追い詰めてきた要因の一つにメディアの表現があるが、この映画にも、そうした日本の現状がそのまま表れていた。結局は同性愛者たちを劣位に置いて笑いものにする差別的な文化、雰囲気が日本にはある。吉本プロデューサーの周りにはカミングアウトしている人がいるのかもしれないが、そういう人はまだまだ多くない。だからこそ近年、LGBTと呼ばれている人たちが社会運動を展開し、偏見をなくしていこうと頑張っている。

ドラマなどでも、面白くてコメディで、かつ適切に描いているものも増えてきている中、この映画が2020年に公開されたとことに非常に憤りを感じているし、特に若い人たちに偏見を植え付けることになるのが本当に辛い。今回、公開中止を求めるキャンペーンを打ち上げているのは高校生だ。高校生にそんなことをやらせていること自体に大人として責任を感じる。いつまで、こういった属性で誰かを貶めるような表現で笑いをとっているのか。そして制作、タレント事務所、配給会社、行政、または映画倫理機構など、本当に様々な人が携わっているのに、誰もこの問題に気づけなかったのかと、びっくりしている。端的に今すぐに公開を停止して欲しい。

■「『翔んで埼玉』は埼玉県人に対して無礼なことだ、というのと一緒になってくる」

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小島慶子(エッセイスト):松岡さんがおっしゃったことに完全に同意する。吉本さんの、知り合いの同性愛の男性が笑ってくれたから差別ではないというのは、あらゆる差別の問題で陥りがちな落とし穴だ。それを根拠に“あれは差別ではない”とおっしゃることにはとても無理がある。

吉本:それはあくまでも例えで言った。ろくすっぽ見ていないのに意見を言われるのは、僕としては非常に不愉快だ。ある意味でバラエティとしての理解力のなさというところもある。松岡さんの意見についても、見る人によって賛否両論あるということだ。

僕のツイッターにも、“面白かった”といった色々な言葉が返ってきているので、ノーと言う人とイエスと言う人が両方いる。これをまず分かっていただきたい。そして、僕が出そうとしているものは有料コンテンツだ。“こんなものは許せない”と思う人は見なければいい。表現の自由というものがある。同性愛者を馬鹿にしているものではなく、信念をもって作っている。それは誤解されたくない。一部分を切り取って話をされたら、これは差別だということになってくるという問題はあるが、差別をしているということは絶対にあり得ない中身の作り方をしている。

松岡:やはり作品全体が差別的だと言わざるを得ない。切り取る以前に、作品が出しているメッセージ自体、同性愛というのは異常性欲で、異性愛こそが愛だと位置付けている。どうしたって差別的だ。また、半分以上の人が面白がっていて、3割くらいの人が“傷ついた。本当に辛い”と言っていた場合でも、“それは少数の人たちが傷ついているだけだから別に関係ない”とおっしゃるのか。そうやってマジョリティ側がマイノリティの側を踏みつけて面白おかしく笑っているという映像が良い作品だと思っているということで間違いないか。

吉本:良い作品だとは言っていない。気楽に見られる面白さがある作品だと僕たちは思っている。

松岡:やはりそこに差別の本質があると思う。結局、笑いにしてマイノリティを貶め、そういった属性を気持ち悪いなどと言ってきたから差別が再生産されてきた。カミングアウトすると笑い者にされ、自分は生きるのが辛い、死にたいと思ってしまう人がいるのに、それを“悪気がないから。これは面白いただの作品だから”と言うことによって、その人たちを社会の外に追いやっていく。

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平石直之アナ:予告編を作られたのも制作のみなさんだし、噛まれると“同性愛者になる”、“感染してしまう”というストーリーの柱そのものが、“同性愛=なりたくないもの”と捉えているのではないか。なぜ同性愛者を“なりたくないもの”と思われるような存在であるヴァンパイアになぞらえたのだろうか。

吉本氏:いや、ヴァンパイアというのは未来永劫の命を持っているわけだ。当然、子どもができるとどんどん広がっていくので、要するに同性愛だったら広がらないからというところで、そこはコメディとして捉えた。コメディとして考えた時に、ヴァンパイアは死なないわけだ。永遠の命を持っている。だとするならば、数が増えないようにしなければならないということだ。先生だったり、生徒だったり、同性愛者は同性愛者として認めている部分がある。

平石:シリアスかコメディかというのは関係ないのではないか。むしろコメディだからこそ笑ってはいけないこともあると思う。

吉本:いや、それでは『翔んで埼玉』は埼玉県人に対して無礼なことだというのと一緒になってくる。

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カンニング竹山:僕はコメディをやっているが、吉本さんが勘違いなさっているのは、嫌がっている人たちを排除するというか、傷つける笑いになってしまっている。それがはたしてコメディという概念に入るかといったら、僕は入らないと思う。

もう一つ気にかかるのは、役者さんの名前を出して「この人たちも納得したのだから」と言われたが、制作側が「役者さんも納得しているから」というのは映画人としてはダメだと思う。なぜかと言えば、役者さんは台本をちゃんと演じるというのがお仕事だから。その前にプロデューサーなり監督なり脚本家なりが「これちょっと問題じゃないのか。これちょっと笑いとしてリスクあるな」と言わなかったとすれば、それが一番の問題だ。撮影に入る前に、吉本興業さんや製作委員会を作っている方たちの中で世論の動きに誰も気づかなかったということが問題だ。役者を責めるのは気の毒だし、この問題に役者は関係ない。

吉本:竹山さんが言っていることはよく分かるし、役者に対して責任を押し付けるつもりもない。ただ、こちらとしては全員の合議の中で誰も問題視しない中で作ってきたものなので、中身を見ていただけたら分かっていただけると思う。

池澤:公開前に周りの同性愛者に確認を取っていたのは、リスクを感じてのことではなかったのか。

吉本:いや、それは切り口として、どういうふうに面白おかしく受け取ってもらえるかということを見てもらいたかっただけで、同性愛に対して差別があるのかを見てもらったわけではない。

カンニング竹山:吉本さん、今ご自分ではっきりとおっしゃった。「面白おかしく見てもらえるかということを」と。ということは、この映画を「面白おかしく見てください」ということだ。プロデューサーさんがそうおっしゃったら、それは「同性愛って面白いでしょう」というメッセージを作っているということにはならないか。

吉本:そうだ。楽しんでもらうために作っているわけだから。

■「作り直して、より良い作品を出してくれるならすごく嬉しい」

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箕輪厚介(幻冬舎編集者):僕もまだ見ていないので言う資格はないが、これだけ批判を浴びているということは、傷つく人がいるということだ。ただ、何の法的根拠をもって公開中止にするのかという問題もある。

はっきり言って表現の中にはものすごく過激なものもあるし、みんなが喜ばなければといけないとも思わない。ただ、そこは制作陣のセンスだったり、空気を感じる能力だったりが必要だ。僕もコンテンツを作る人間として、時代の空気を感じながら、ギリギリのラインを攻め、人を傷つけないところを行く。ただ、こういうものはSNSですごい批判を浴びると思うし、僕個人の意見としては、正直もうそんなに触らなくていいのではないかなという気はする。“何かセンス悪いな”で終わりでいいのではないか。

松岡:そこにちょっと懸念がある。おっしゃる通り自由に表現していいと思う。ただその表現の自由には、それに反対する自由も担保されている。

吉本:もちろん。

松岡:そこで今まではマイノリティの人たちの声が小さかった。インターネットの力もあるが、傷ついたという声が上げやすくなり、それがちゃんとマジョリティ側にも届くようになった。そうやって問題になった時に「見なければいい。あまり気にしなくていい」と言ってしまうと、常にマイノリティは攻撃的にされ、いじめられながら生きていかなければならなくなってしまう。

一方で、箕輪さんがおっしゃった通り、公権力をもって停止させるということはやってはいけないと思う。だからこそ、制作陣にちゃんと考えてもらいたいし、今の文脈においてはもう擁護の余地がないというか、作品として酷すぎる。これは公開を中止してほしいというのが私の意見だ。ただ、場合によっては停止後に作り直して、より良い作品を出してくれるなら、こちらとしてはすごく嬉しい。

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吉本:作品としてひどいというのは、あなた個人の意見だ。我々としては差別はないと思って作っているわけで、差別があると考える人がいるからといって全てを公開停止しなければいけないかというと、それはちょっと違うのではないか。それは表現の自由を奪うものではないか。

松岡:傷ついた人たちを差別し、踏みつけながらも、笑っている人がいればそれでいいということか。

吉本:傷つけている認識はない

小島:傷つく人がいるかどうかということよりも、何の知識もない人が見た時に「へー、そうなんだ。同性愛ってこういう人たちなんだ」という誤った知識を得てしまい、差別や偏見が助長されるという部分に対して松岡さんは非常に怒ってらっしゃる。ここは大事なポイントだと思う。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

▶映像:吉本氏を交えた議論の模様

「笑いが差別を再生産」噛まれたら同性愛者に? 当事者VS映画プロデューサー
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