”今までのようなマスコミの論理は通用しない”京アニ事件・津久井やまゆり園事件から考える実名報道
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 「マスゴミ」「遺族の気持ちを無視した被害者の実名公表」「死者に鞭打つような真似」「遺族の気持ち考えろ」。京都アニメーション放火殺人事件の報道をめぐって、犠牲者の実名込みで伝えようとするメディアに対し、厳しい批判の声が上がっている。

 「実名報道」の是非について、10代~70代まで男女100人にアンケートを行ったところ、「実名を出した方が、事件のことが記憶に残り、この先忘れないでいようと思った」などとして「あり」と答えた人が11人だったのに対し、「遺族の気持ちを無視してあり得ない」「情報に何も価値がないと感じた」「悪質な行為」「行き過ぎた報道」「憤りを感じる」として、「なし」と答えた人は76人に上った。

 家族や関係者が拒んだとしても報道すべきなのだろうか。匿名では真相究明や再発防止につながりにくい、という主張は本当なのだろうか。そして、自社や業界の論理を優先し、「知る権利」や慣習を盾にして、説明や議論をする努力を怠る"上から目線"はないだろうか。そんな様々な疑問について、AbemaTV『AbemaPrime』が改めて議論した。(前回の議論

■警察が発表すれば報じなければならないのか?

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 警察発表を受けてマスメディアが実名を報道するまでには、一般的には次のようなプロセスを踏む。

 (1)事件・事故の発生後、原則として警察が報道機関に被害者名を発表(ただし個人情報保護法、犯罪被害者対策法の観点から、被害者への配慮を理由に実名を発表しないケースもある)
 (2)各社はこれを受け、公共性、公益性、人権への配慮などを総合的に判断し、実名を伝えるかどうかを決定。

 その過程において、性犯罪の被害者、暴力団が絡んだ事件被害者、振り込め詐欺の被害者などについては実名が報道されないケースがあるが、京アニ事件の報道では、全国紙の新聞、NHK、民放の全社が25人を実名報道した。(全国紙についてはデジタル版と紙面で対応を変えているところもあった)

 元毎日新聞記者でノンフィクションライターの石戸諭氏は「今、各社はすごく揺れていて、ケースバイケースで判断するのが原則になりつつあるが、実名報道をする理由は、これは本当に起きたことだという"真実性の担保"に尽きる。今回の事件で言えば、京都市、京アニ、どなたが亡くなった、関係者は誰か、といった固有名詞が必要になってくる。そこで、いつ、どのようなタイミングで実名を発表するのかに関して、京都のメディアと京都府警との間で水面下の交渉が行われ、各社は被害者への取材が過熱しないよう議論・配慮したという。その上で、全社の判断が一致したということだ。ただ、90年代以降、犯罪被害者の声をしっかり聞こうという動きも出てくる中、そもそもなぜ実名報道が必要なのかということに関して、知る権利だなんだと言って、説明をせずに終わらせてきたことは反省すべきだと思う」と話す。

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 これに対し、慶應義塾大学特任准教授の若新雄純氏は「つまり、警察が発表するということと、メディアが積極的に報道するということはイコールではないし、メディアが広めなければ真実性は担保されないのか」と疑問を呈する。

 専修大学ジャーナリズム学科の山田健太教授は「警察が情報を隠したり、意図的に違った発表をしたりすることもあり得る。メディアとしてはそうならないよう実名で発表してもらい、裏付けをし、そして報道するかどうか悩む。これが大事なことだ。全体に流され"じゃあうちも"というのではなく、記者の意志と、実名の方が良いという合意。それがオーバーラップしたときに初めて、実名報道が意味を持つと思う。実態としては、警察は交通事故と火災に関してはほぼ実名を発表するし、報道もそのまま報道する。このことについてはそれほど大きな批判はないと思うし、実名発表を警察が控えようとすることと、事実を知りたいという世の中の気持ちにメディアが応えるというバランスとしては、実名報道7割、匿名報道3割くらいがちょうど良いのではないかという話になっている。しかし状況として、ほぼ全てが匿名になってもおかしくない状況にできつつある。それで今回、メディアが実名発表、実名報道の必要性を声高に訴えた」と説明。石戸氏も「警察側が遺族の意向も踏まえ、なるべく匿名にしておきたい、と言うことが起きやすくなる流れがあり、何が起きているのかを知ること自体が困難になってきている。海外の場合は情報公開の仕組みとセットで匿名という選択肢がある」とした。

 また、テレビ朝日平石直之アナウンサーは「京都新聞によれば、京都府警が実名公表を拒否していると説明した遺族の中に、実は"拒否していない"と証言した遺族がいたという。"報じて欲しい"とされる人の所だけではない取材をして、たどり着いたからこそ、こうした話が出てきた。ただし、確認することは大事でも、"名前が出た。一斉に行って、本当にそうなのか確認しよう"というのは違う。取材するタイミングを考え、メディアを一本化する方法を模索する必要もあると思う」と話した。

■津久井やまゆり園の事件の被害者家族の場合は…

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 3年前、神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」で45人が死傷した事件で、他の被害者家族が匿名報道を望む中、「あの日重傷を負った我が子のことを伝えたい」と、発生直後からメディアの取材に実名で答えてきたのが、尾野剛志氏だ。

 尾野氏は「やまゆり園の事件と京アニの事件は少し違うと思っている」とした上で、「津久井やまゆり園は、重度の知的障害を持った人たちの施設だ。重度知的障害の人たちは健常の人たちから差別や偏見を受けてきた。実際、親族の子どもが学校でいじめにあったり、娘の縁談が破談になってしまったりしたケースもある。そういう差別は、やはり障害を持った人たちの当事者でなければ分からない。だからそういう中で子育てをしてきたお父さんお母さん方たちにとっては、"やっと入れてもらってありがたい"という場所だった。ところが事件が起き、実名で報じられてしまった場合、近所の人たちから"障害者の子どもがいる""もう何十年も施設に入っている"と後ろ指をさされたり、罵られたりする可能性がある。中には恥ずかしいとか、自分の保身みたいな気持ちもあったと思う。だからこそ、家族たちはいち早く匿名での報道をお願いした。しかし、マスコミの人たちからは"戸籍までなくなる""植松に殺され、親にも殺された"というふうな言い方をされた。"本人の生きてきた証はどうなるんだ"と叩かれた」と明かす。

 「津久井やまゆり園の場合、"名前がない"ということで歴史に残るが、京アニさんの場合、皆さんすごく立派な仕事をしていた人たちだし、亡くなったとしても賞賛され、歴史にも残る人たちだ。それなのになぜ匿名にするのがいいのかなと思う。ただ、存命の被害者の方のほとんどは匿名を希望しているはずだ。おそらく生きている人たちにメディアスクラムのようにバーっと行ってしまうことも考えられる。そこはマスコミの方々にも考えていただきたい」。

■メディアは説明責任を

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 若新氏は「実名を報じたことで、国民に伝えるという義務を果たせた。価値があった、というケースは過去にあるのか?」と尋ねると、平石アナは「拉致被害者の横田めぐみさんのケースは、お名前と写真が出て、ご両親がお話をしてくださったことで、拉致問題への関心が集まり、これだけ世論が高まるきっかけになったと思う。これが匿名だったとしたら、これほど関心は高まらなかったのではないか」と回答。

 経済評論家の上念司氏は「例えば光市母子殺害事件にように、ディテールが報道されたからこそ国民の議論が巻き起こり、厳しい判決につながったというケースもあると思う」としながらも、「京アニの事件については、被害者の実名を報道することに何のメリットがあったのかが見えない。一方、マスコミの中の人は不祥事を起こしてもなかなか実名報道されない、この"二重基準"、ダブルスタンダードはなんなんだ、と皆が思っている」と厳しく批判した。

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 山田氏は「全てはケースバイケースだと思うが、やはりメディアは自己批判し、報道過程をオープンにする必要がある。京アニの報道について、新聞やテレビはどのぐらい説明をした上で報じたのか。今までのような通り一遍の説明に過ぎなかったのではないか」、平石アナも「実名を掲載するとともに「十分に配慮して」や「節度ある取材をしていきます」と一言載せていた新聞が多かったが、それが読者に刺さらなくなっているんだと思う。報道の原則よりも、目の前にいる被害者の方々に対して、どういう放送やどういう報じ方をしているかが見られている。私たちが撮影し、録音すると同時に、いまや現場では、私たちも撮影され、録画されている。失礼な態度をとったり、抜け駆けをしたりして失敗したら、その社や番組は致命的なダメージを受ける。逆に言えば、どの社が、どの番組が、誰が取材し、報じているのかと、見ている方にもそう思って見ていただきたい。それによって淘汰されていくはずで、いまのようにメディア全体がひとくくりで批判されていると、取材そのものが難しくなっていく」と強調した。

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 石戸氏も「言い訳程度の説明を載せただけでは、かえって反感が高まることになるし、結果として取材がもっとしにくくなる。記者会見で横柄な聞き方をすることが批判されるのもそうだ。しかし、"報道してほしい""もっと伝えてほしい"という方がいるのも事実。僕も昔、ある犯罪被害者の方に"マスコミの人たちは聞いて欲しくない時に来る。自分たちが喪に服していたい、静かに過ごしていたい時に来る。しかし聞いて欲しくなった時には来ない"と言われたことがある。その"聞いて欲しくなるタイミング"は、人によって1年後だったり、2年後だったり、下手したら10年後かもしれない。だから京アニの被害者の方の中にも、もしかしたら考え方が変わってくる方がいるかもしれない。かつての朝刊・夕刊の時代や、朝昼晩でニュースをやっている時代とは違い、インターネットでは読まれるものはいつでも読まれるし、関心のある事件はいつまでも関心を持たれる。京アニの事件は、そういう事件だと思う。犯罪が忘れ去られやすくなっている中、粘り強く取材をしていくことと、真摯な取材が報われるような現場を作っていくためにもメディア側が説明責任を果たすこと。この2つはやはりセットで考えていって欲しい」との考えを示した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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