「悔しいというか、悲しいというか。私の仕事って何だっけみたいな(笑)。たまに思うんですよね」。
全国的に苦境に立たされている舞台芸術の世界。本当に幕が上がるのか…そんな不安を抱えながらも、わらび座の役者・佐々木亜美さんは今日も稽古に励んでいる。そこには、コロナ禍だからこそ舞台から届けたい想いがあった。(秋田朝日放送制作 テレメンタリー『舞台に立ちたい-コロナ禍で迎えた劇団70年-』より)
■“立ちたいです、この舞台!”しか思わなかった
秋田県仙北市にある、田んぼに囲まれた劇場。ここを拠点に活動する「劇団わらび座」で役者をしている佐々木さん。県内の高校を卒業後、すぐに劇団の養成所に入り、今年で入団4年目となる。
この日、6月から始まる全国公演に向けた稽古が行われていた。蝦夷地を「北海道」と名付けた探検家・松浦武四郎を題材としたミュージカルでアイヌ民族の娘を演じる亜美さんは、舞台の終盤、ソロで歌うシーンも任されている。
「中学の時、好きな歌を友だちに歌った時に“すごい感動した”って言ってくれて。それが嬉しすぎて、“私、歌手になりたいかも”、みたいな(笑)。小さい頃の写真を見ても、家族が見てるテレビの前に立って“私を見て!”みたいな事をやっていたので。」
わらび座との出会いは、高校2年の時に父親と見たミュージカルだった。「衝撃でした。なんか、ガーンみたいになって(笑)。もうワクワクが止まらないし、涙も出るし。“好きな事やべし(“好きな事やれ”)って作中で言うんですけど。それが自分に言われてるみたいで、“立ちたいです、この舞台!”しか思わなかった」。
■1カ月で全国から1億円以上の寄付が
今年創立70周年を迎えたわらび座は、年間およそ800公演、観客動員数は20万人以と、劇団四季、宝塚歌劇団に次ぐ国内3番目の規模を誇る劇団だ。社員数は200人で、劇場のほか、レストランや温泉施設、ホテルなどを運営、秋田県の一大観光拠点ともなっている。
しかし去年、新型コロナウイルスの感染が広がり始めると、全国的に他県との往来の自粛が始まったことで団体客が減少。「4〜6月の教育旅行がキャンセルが出始めた時には青ざめましたよね。全国公演なんかも全部キャンセルですから」(山川龍巳・株式会社わらび座社長)
去年3月には劇団の存続をかけ支援金を募り始めた。するとわずか1カ月で全国から1億円以上の寄付が集まった。「“全国に、世界に秋田をこれほどPRできる所はそうそうないから頑張ってほしい”と。相当励まされた」(山川社長)
団員たちも「たくさんの人が元気になれるような舞台を作れるように、今なんとかこの状況を乗り越えようと思っています」「次の舞台に向かって新しいものを作り出していくエネルギーにしてますって事が伝わればいいなって」。
■今は幸せなほうです。ほんとに
感染状況が落ち着きを見せていた去年6月からは、県内での公演が再開された。「世界中が辛い思いをしている中でいち早く舞台を開ける事ができる幸せを噛みしめたので、凄く重大な一日だったな」(脚本・演出を手掛ける栗城宏さん)。
桜並木が有名な仙北市角館の武家屋敷では、庭のシダレザクラが咲く頃、同じ演目を上演する事が決まっていた。感染対策として、屋外に特設ステージを作っての公演だ。
昨年9月には透明なマウスシールドを着け観客の前に立った亜美さん。やる気と喜びに満ちた表情で、稽古場で打ち合わせを重ねていく。ところが再演当日、亜美さんの姿は武家屋敷にはなかった。県の警戒レベルが引き上げられたために公演は中止、劇団主催イベントの裏方の仕事をしていた。
「稽古が出来てるだけ、ありがたいんですけどね。去年、緊急事態宣言が出た時は公演もなし、稽古も自主稽古ならいいけど…だったので。今は幸せなほうです。ほんとに」。ミュージカル「松浦武四郎」の全国公演は1カ月後の6月3日に長野からスタートすることになった。
■援農楽しいです。目がキラキラしてるんですよ
肌寒さが残る5月中旬。雨の中、全国公演のメンバーが朝早くから集まった。亜美さんも車に乗り込み、劇場から1時間ほどの目的地へと向かう。
着いた先は、わらび座が年間およそ150校受け入れている修学旅行で子どもたちに農作業を指導している佐々木義実さんの畑だ。減少してしまった修学旅行生に代わり、団員たちが農作業の手伝い「援農」をしているのだ。
わらび座と農業にはもともと深い関わりがあった。創設期の団員たちは、民謡や民舞のようにその土地に息づく郷土芸能を、そこで暮らす人々から田畑の仕事を手伝いながら教わった。今でも2年間の研修の中に、田植えなど農作業のカリキュラムがあり、自らを芸と農を極める“芸農人”と呼ぶ。
芸を学ぶ場所は劇場や稽古場だけではない。秋田の豊かな自然の中、土地を学び、暮らしを学び、人を学ぶ。コロナ禍のピンチが、原点回帰のきっかけとなった。「援農楽しいです。義実さんのロマン、男のロマンを聞くのが超楽しくって。目がキラキラしてるんですよ」(亜美さん)。
■1年やってきて、ちょっとここは違う感情でみたいな
亜美さんは、今年度の全国公演に向けた自主稽古を行っていた。演じるのはアイヌ民族の娘・ウエテマツ。本州から進出してきた和人の支配にも心を強く持ち続ける女性だ。
台本を手に、「2年目なので。去年が黒で書いてて、今年は差がわかるように赤で書いてたりしますね。1年やってきて、こういうキャラだったけど、ちょっとここは違う感情でみたいな」。
そして、愛する人と引き離され3年が過ぎても、また必ず会えると信じて待ち続ける、ウエテマツの心情を表した曲を歌う。「歌詞がどうしても寂しく聞こえるんですよね、夢見心地で彼を待ってる。それがまだまだ全然できなくて、頑張ってる歌です」。
同じ役を演じ続け、深めていく事の難しさ。さらにウエテマツの強さと、コロナ禍で自らが抱いた気持ちの違いにもがいていた。「会いたい人に会えないっていうのが、この時代にリンクしちゃって。でもそれだと、この作品のウエテマツにはならないんだなぁっていうのでもがいてますね。難しい歌です」。
■私はこれを伝えたいですっていうために、考え続けなきゃいけない
昨年度は約100回の公演が予定されていたミュージカル「松浦武四郎」だったが、実際に上演できたのはわずか18回。今年はどれだけの人に舞台を届けられるのか。期待と不安が入り混じる。
6月3日に長野で予定されていた初日は、長野県の感染警戒レベルの引き上げにより中止に。新たに初日の場となった北海道にも5月下旬、緊急事態宣言が出されていた。
亜美さんたちにできる事は、初日の幕が必ず上がると信じ、感染対策を行いながら舞台稽古を続けること。体育館を借りての練習では、稽古場では気づかなかった修正点が見つかる。亜美さんの台本に、次々とメモが書き込まれていく。
もっと動きに気持ちをのせられる。もっと台詞に想いを込められる。もっと、この舞台を良いものにしたい。メンバーの、舞台にかける情熱がぶつかり合う。「私はこれを伝えたいですっていうために、考え続けなきゃいけない」。
■仕込みますっていう時に“明日の公演無くなりました”って
5月下旬に行われた、広いホールを借りての稽古。メイクをして衣装を身に着け、舞台セットも照明も本番通り。わらび座の職員を観客に、最後の通し稽古だ。
主演の三重野葵さんは「これで2021年度版の松浦武四郎の準備が完了したという事になります。どうなるかわからない日々が続きますが、自分たちに何が出来るのかを考えながら、みんなで高め合いながら、たくさんの人達に助けられながらこの作品をさらに磨いていきたいと思います。ありがとうございました。イヤイライケレ(アイヌ語で『ありがとう』の意味)」と挨拶した。
最後の稽古を終えると、慌ただしく撤収作業に移る。公演先に持っていく大道具、小道具、音響機材、照明などをバラバラにし、トラックへと積み込む。全国公演は少数精鋭。裏方も役者も、チーム一丸となっての作業だ。この荷台が次に開けられるのは初日公演の地。それが函館である事を願う。
「去年も他の班が(公演場所に)行って、今から仕込みますっていう時に“明日の公演無くなりました”っていうことがあったので。やりたいなと思ってます。立ちたい…立てるかな」と亜美さん。
■まだまだ今年度のスタートだと思います
待ちに待ったその日がやってきた。「楽しみは大いにあるんですけど、その裏に忘れてないかなっていう不安と、(観客の前で演じるのが)半年ぶりなので本番中に着替えが間に合うかなとかっていうのはあります」と亜美さん。それでも、舞台に立てる喜びが隠しきれない。
上演時間まで30分。鏡の中の自分と向き合う、役に入るための大切な時間だ。「眉毛描くの大好き。その人の強さが出るのは眉毛かな」。楽屋のモニターから聞こえる客席のざわめき。開演を待つお客さんの高揚感と、幕開けが近づく緊張感。舞台に設置されたパネルの裏で、出番を待つ亜美さん。大きく深呼吸。半年ぶりに上がった舞台で、函館の600人の観客に、思いをぶつける。
公演を終え、充実した表情を見せる。「久しぶりだけど、また来たんだな、戻ってきたんだなっていう感じがしました。緊張感を含め、稽古では感じられなかった空気があったので。日々進化しなきゃいけないし、でも根っこみたいなのはちゃんと持ってなきゃいけないし、まだまだ今年度のスタートだと思います」と力を込めていた。(秋田朝日放送制作 テレメンタリー『舞台に立ちたい-コロナ禍で迎えた劇団70年-』より)