将棋の藤井聡太竜王(王位・叡王・棋聖、19)が作り出した数々の大記録、名局は、さまざまなメディアで映像として見ることができる。今では当たり前のようになっているが、こんな状況が整うまでには、様々なことがあった。当然、かつてはインターネットによる配信などはなく、かといってテレビの地上波で長時間の対局をずっと流すということもできなかった。将棋界の歴史に詳しい島朗九段(58)は「対局室にカメラが入るというのは、時代の進歩」と語り、放送が始まったころから現在までについて、その移り変わりを語った。
島九段によれば、将棋の番組を多数放送しているNHKのBS放送が入ったのは1989年度。ちょうど島九段が竜王として、当時六段だった羽生善治九段(51)の挑戦を受けた年だった。この竜王戦七番勝負で、羽生九段は19歳3カ月で自身初タイトルを獲得することになる。
島九段 昔は対局室にカメラが入ることは考えられなかった。昭和の時代は、写真を撮るのにも神経を使いましたから。NHKのBSでコンテンツが必要だったのもあって、朝3時間、夕方3時間、放送したんですよ。
長時間の竜王戦を、ぶっ通しではなく1日目なら対局開始や封じ手を含む部分、2日目なら対局再開と終局を含む部分、といった具合。ところが将棋の対局は、基本的にあまり動きがない。対局者がずっと考え続けていれば、それは映像といっても静止画状態だ。
島九段 静止画像が多くて、見ている方は壊れていると思ったらしいですよ。(カメラが)入ったのは画期的でした。
もちろんずっと映像として流されることに抵抗を感じる棋士もいたが、徐々に浸透し、今に至っている。現在の藤井竜王がそうだったように、羽生九段も初タイトル獲得のシリーズから、実に多くの対局を放送として多くのファンに見られていたことになる。
生中継である以上、いろいろとハプニングがある。羽生九段が3勝目を挙げた竜王戦第6局。放送としては困ったことが起きた。午後の放送が始まってすぐ、午後3時15分で終局してしまったからだ。
島九段 NHKが(午後)3時から放送したんですけど、すぐに終わっちゃったんですよ。そこからつなぐのは、大変だったと思いますよ。だから私から羽生さんに「早く勝った責任があるから(番組に)出た方がいいよ」と言いました。私はふてくされて、控室でケーキを食べましたが(笑)。
3時間確保していた放送枠で、まるで何もないというわけにもいかない。「ふてくされた」はジョークかもしれないが、すぐに何か穴を埋める代替コンテンツを用意するのも難しい。羽生九段が出たことで、なんとか収まったということだろう。
第2局もまた珍しいことがあった。持将棋になったからだ。それ自体が珍しいことでもあるが、島九段、羽生九段ともに和服で対局は始めたものの、お互い和服が苦しかったようでスーツに着替えた。放送も午後8時くらいまで続くロングバージョンに。当時としては貴重映像になった。
後にインターネットでもニコニコ生放送で様々な対局が見られるようになり、その後に誕生したABEMAでも、さらに放送が増えた。
島九段 今のファンの方は中継が当然でしょうけど。羽生新竜王の誕生が映像で残っているのは意味深いし、中継というのには歴史があるんだなあと思いますね。
これからも歴史的な瞬間は、数々の映像メディアでしっかりと記録されていく。
(ABEMA/将棋チャンネルより)





