東日本大震災から11年。記憶の風化を防ぎ、後世への教訓とすることを目的に、テレビ局は今年も様々な企画や報道特別番組を編成した。
そこで浮き彫りになるのが、海外のマスメディアと日本のマスメディアとの違いだ。欧米のメディアは東日本大震災の犠牲者の写真を掲載していたし、今回のウクライナ侵攻においても米ニューヨーク・タイムズ紙が子ども連れの家族の遺体写真を一面に掲載、戦争の悲惨さを伝えるものとして大きな反響を呼んでいる。
一方、日本においては被災者や遺族、また映像を見たことでのPTSDなどの懸念から、NHKと民放各社が組織するBPO(放送倫理・番組向上機構)も注意喚起。津波の映像を流す際には注意を促し、人が飲み込まれる様子や遺体など、直接的な映像素材は使わないという配慮を続けている。
■撮影した映像をYouTubeで公開した男性「現実を知って欲しい」
気仙沼市で飲食店店長をしている畠山亮さんは、発災のとき15歳の中学生。実は大きな揺れの直後に沿岸部に襲い掛かってきた津波が防波堤を越え、家々の2階部分に達する緊迫した様子を、自ら映像に収めていた。しかし10年あまりにわたり、“見た人の心を傷つけるのではないか”との思いから、誰にも見せることはなかったという。
転機が訪れたのは去年のこと。津波で家族を亡くした「後世のために公開すべき」と言われた畠山さんは、映像をYouTubeで公開することを決めた。動画は1200万回以上も再生され、海外の視聴者にも届いたという。
「(公開したことへの)“批判”のようなコメントはなかったが、“当時のことを思い出して悲しくなる”というコメントは見かけた。自分でも共感できる部分はあったし、難しいところだと思う。ただ、自然というのはとんでもない力を秘めているし、決して舐めてはいけない。そして、災害というのはどこにいても起こりうるものだ。そのためにも、ちょっと恐いかもしれないが映像を見て現実を知って欲しいと思うし、避難場所を把握しておいてほしい。その意味では、報道機関は“流したら批判が来るんじゃないかな”と守りに入っているんじゃないか」。
■「批判を怖れているんじゃないか」
一方、元経産官僚の宇佐美典也氏は「こうした映像は貴重な史料として残さないといけないと思う一方、まだ幼い娘がたまたま見てしまったとして、どういう影響が出るのか、とも思う。ある程度は分別が付くようになってから見せたほうがいいのではないかと思うし、そのための教え方、解釈の仕方についても、何らかの対策がほしいと感じる」とコメント。
また、フリーアナウンサーの柴田阿弥は「ウクライナ侵攻の情報がSNSに流れてくるが、遺体と思われる写真を見てしまって、いま思い出しても心臓がドキドキするし、生活に響いた部分がある。リアルを伝えることは非常に大切だと思うが、災害や戦争の怖さを既に知っている人に対しては、本質が伝わればそれでいいのではないか」と疑問を投げかける。
EXITのりんたろー。は「僕の場合は『はだしのゲン』で戦争の怖さを知ったけど、今の子どもたちが読む機会は減っていると思う。どちらの意見も理解できるので、すごく難しい。YouTubeであれば視聴するかどうかを自分で決められるし、テレビ番組でも注意書きを入れることはできるから…」。
兼近大樹は「見たくないという人への配慮をしたとしても、見ないまま生きていく人への配慮はどうだろうか。世の中は理不尽なことばかりだというリアルを知らず、想像力が欠如したままだと、いざというときに何もできないということもあると思う。そして僕は『火垂るの墓』を見て戦争のことを知ったが、戦争が怖いというよりも、戦争によって出てくる人間の怖さを知ったという記憶がある。今の時代、一部分だけを切り取るということが多いが、本当は全体や、その後で何が起きたのか、ということを知ることが必要だと思う」とした上で「みんなに見てもらっている報道機関が批判されるのは当たり前のことで、それが嫌だからとか、攻撃されたくないからとか、損したくないからと怖がっているんじゃないか」と話した。
■「“思考停止”になってはいけない」
元フジテレビ報道局解説委員で『Japan In-depth』編集長の安倍宏行氏も、かつてのマスメディアが過激なコンテンツを扱っていたことを踏まえ、「視聴者からクレームが来るからとりあえず流さないでおこう。その方が安全だよねという思考停止に陥っていると思う」と指摘する。
「東日本大震災の時、私はフジテレビ報道局にいたが、すでに“やめておこう”という流れはその前からあったと思う。民放各局からディレクターや記者が集まって“我々は遺体をいつから映さなくなったんだろう”という議論をしたことがあった。結局のところ時期や原因は分からず、流すべきかどうかで意見は割れた。例えば津波の中に人が浮かんだり沈んだりしている数十秒の映像があった。おそらくあの方は溺れて亡くなったんだと思う。私自身、すごく恐ろしいと感じたし、お茶の間に流すには厳しいと思った。
しかしそうした映像でも見られる場所がどこかにあって、そこに行けば共有できるということが大事なのかなと思っているし、そのための議論をせず、ただ“これはダメ、あれはダメ、これも流せない”、“とりあえず流さないでおこう”という思考停止になってはいけないということだ。柴田さんは“分かっている人は分かっているんだから”とおっしゃったけれど、これから10年、20年が経った時のことを考えると、そうやって封印したままにせず、どこまで出せるかとかという議論を続けなければならないと思う」。
■「社内に理念や議論はあるのか」
ジャーナリストの佐々木俊尚氏も「20世紀は“映像の世紀”だといわれていて、日露戦争(1904〜1905)に比べて第二次大戦(1939〜1945)の映像が大量に残っているからこそ、我々がリアルに感じられる面はあると思う。実際、『彼らは生きていた』(2018)というドキュメンタリー映画の場合も、デジタル技術を使って100年前の第一次大戦(1914〜1918)のモノクロ映像に着色したことで、“こうだったんだ”と驚いた。それくらい、映像の力には大きいものがある。そう考えると、3.11のときに日本に住んでいた我々が当時の様子を何度も見る必要はないのかもしれない。しかし当時は産まれてなかった子どもや幼かった子どもたちや、我々が死んだ後の世代が見られるということには大きな価値がある」と話す。
その上で、「昔だって、今と変わらず、ドキドキするから、気持ち悪いから見ないという人は大勢いたはずだ。それがなぜテレビ局側の判断の変化に繋がるのか。仮にBPOからの要請などがあったとして、テレビ局としての“どんなに悲惨な状況であっても報じるべき場合がある”という責務とのバランスを議論したのだろうか。本当は、明確なロジックは無いのではないか。
僕は欧米の基準が絶対だとは思わないし、それぞれの国ごとに判断があって然るべきだと思う。大切なのは、なぜ欧米のメディアは遺体も映すのに、日本のメディアは映さないのか。その理由を探るべきだと思う。ニューヨーク・タイムズの場合、1面にインパクトのある写真を1枚ドカンと載せた一方、他の面はそうではないわけで、やはり何らかの理念があって編集しているわけだ。なんでもかんでも載せなきゃいいんだということではなく、何を報じ、何を報じないのかという議論がなされていない感じがする」と問題提起した。(『ABEMA Prime』より)
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