「貴重な10代の大事な日々をsin、cosに捧げておりました。受験の翌日以降、この20年ほどsin、cosは一度も使っておりません。あの日々は一体なんだったのか」。
17日の衆院財務金融委員会で文部科学官僚を相手にそんな問題提起をしたのは、日本維新の会の藤巻健太衆議院議員だ。
自身は数学が得意で、三角関数の学習自体を否定するつもりはないとした上で、「全国の高校生にがっつりと教え込む必要があるのか。その分野に進む人たちが専門知識として学ぶものではないか」と主張、資源もなく、少子高齢化が進む日本が発展を続けるためには金融立国、ひいては金融教育の充実が重要だと訴えた。
まず「三角関数」について振り返っておこう。オンライン個別指導学習塾「永野数学塾」の永野裕之塾長は次のように説明する。
「直角三角形の場合、直角以外の内角のどちらかが同じ角度であれば、形として同じ(相似)になる。古代ローマのプトレマイオスが、見上げる角度によって星の位置を把握しようと、それを応用したのが始まりだ。そして直角以外の角度で決まる各辺の比のことをsin、cos、tanと呼ぶようになった。これが三角関数になる前の三角比だ。つまり、“自分は今どこにいるのか”という人類の根源的な欲求を満たすものとして発明されたということだ。
しかし直角三角形にこだわっていると、使える角度が0°〜90°の間だけになってしまう。そこで円の中の座標を表す三角関数に拡張された。そのグラフは円運動、同じ動きを繰り返すことになる。つまり波だ。これにより、手前のことが分かればものすごく遠くのことも分かることになる。さらに大学でフーリエ展開を勉強すると、実は全ての曲線が三角関数の組み合わせで表現できることがわかる。そういうおもしろさ、可能性を秘めた関数だといえる」(永野氏)。
■「理解できるものを見つけ、それを深掘りしていった方がいい」
東京大学理学部で物理学を専攻、同大学院(現JAXA)にまで進んだ永野氏だが、実は数学が得意な方ではなかったのだという。
「高校2年生の時、物理の中で振り子の運動が出てきた。そして三角関数を学んでいれば、糸の長さが同じであれば振れ幅に関係なく1周期が同じになるという現象を数式で記述できることを知り、感動した。三角関数を教えてもらったことに感謝した。その意味で、今回の議員の発言は残念だ。仮に三角関数を学ばなくなれば、その先の数学を学ぶ必要もなくなってしまう。なぜなら三角関数、そして指数関数や対数関数を勉強して初めて、小学校から積み上げてきた学習が繋がり、“あれはこれに使うんだ”という数学の全体が分かってくる。この面白さを放棄させてしまうのはもったいない」。
こうした永野氏の意見に対し、「数学を学ぶ上で通らなくてはいけない道だということには同意するが、その道を進むことができる素養を持っているのは人類の20%くらいしかいないのではないか」と指摘するのが、スパイスアップ・アカデミア代表取締役の森山たつを氏だ。
早稲田大学理工学部を卒業した“理系”の森山氏。「おそらく残り8割の方は、数学の世界が面白い、もっと詳しく知りたい、と思ったことはないのでは?僕は面白いと思える方だし、このsinというのは後で便利になりそうだ、と直感的に分かった。しかし高校時代に友達に数学を教えていても、そういうタイプの方が少なかった」と振り返る。
「実際、波を数式で表せることに感動したという永野先生のお話を聴いて、皆さんもそう感じたのではないか。これはあらゆる分野に言えることで、漢文を読んで面白い、文字の流れが素敵だと思う人もいれば、そうでない人もいる。僕は国語の偏差値が35で、“誰も使わない言葉を学んでどうするんだ”と、古文の授業をボイコットしている(笑)。授業時間、高校生活は有限だ。だからこそ僕は感動するもの、理解できるものを見つけ、それを深掘りしていった方がいいと思うし、先生たちは高校1年生に対して各教科の学習内容の魅力プレゼンすべきだ」。
■「学習する基準は日常生活で使うか、ではないと思う」
2人の話を受け、テレビ朝日の平石直之アナウンサーは「使う使わないというよりも趣味や教養の世界に思える古文よりも、世界の基本となっている三角関数の方が価値はありそうだ。藤巻議員は経済学部を出て銀行勤務も経験している。そういう人が三角関数不要論を唱えたということで怒っている人もいるので、“古文よりは”と言っていれば違っていた。4段活用、使うだろうか」と問題提起。
一方、EXITのりんたろー。は「僕がはじめて書いたネタは、“流行り言葉は繰り返されるから、チャラ男は古文でしゃべるべきじゃないか”というものだった。例えば古文が選択科目だったとしたら、僕たちは今ここにいないわけだ」と苦笑。兼近大樹も「三角関数も、みんなが学んでいる間はネタにできるから、俺たちにとっては必要だ」と冗談まじりに語った。
一方、慶応義塾大学の若新雄純・特任准教授は「藤巻議員の発言は残念だ。日常生活で使えるか使えないかで学習内容を決めようという人がいるが、それは浅い考え方だと思う。学校で学ぶことの多くは“脳のトレーニング”のようなもので、人から聞いた話を理解したり、人に説明したり、複雑で困難な状況を打破したりするときに繋がってくるものだと思う」とコメント。
「その意味では、三角関数で言えば、自然界の現象は数式化できる、そういう根本を捉えていこう、ということだと思う。古文だって、俳句が上手な人は他の場面でも日本語表現も美しいということもあるし、物の感じ方が鍛えられる可能性はあると思う。そんなの興味がない、人に決められたルールや時間の中で生きていくだけでいいというのならいい。
しかし、今までになかったものを作るとか、新しいものに取り組もうと思った時には、そうした脳のトレーニングが活きてくるのではないか。もちろん、教科書が古いままだったりするし、時代の変化に応じて学ぶ内容の棚卸しはあっていいと思う。その時には、生活の中で使うかどうかではなく、これからの社会で必要な思考力やセンス、視野の広がりが得られそうかどうか、という観点で考えて欲しい」(若新氏)。(『ABEMA Prime』より)
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