「16歳で浴びるほどお酒を飲ませられた」「“お風呂入り”という名の混浴を強いられた」。今週、元舞妓を名乗る人物がツイートした“告発”に、様々な反応が寄せられている。
■「飲酒を強要されたことはないが…」“元舞妓”たちの反応は
投稿した人物とも旧知の間柄で、同じく京都の「花街」で16歳から舞妓をしていたマイコさん(仮名)は『ABEMA Prime』の取材に対し「ツイートされたことは事実だと思うが、置屋さんのお母さんの問題なのではないかと思う」と話す。
マイコさんによれば、舞妓や芸妓を飲食店に派遣する「置屋」によって待遇や考え方が異なっており、自らは飲酒を強要されるといったことはなく、酒が飲めない舞妓はジュースでも許されていたという。ただ、「お酒を飲むことに関しては“治外法権”といわれていて、飲むこともひとつの“芸”だという雰囲気があった」と振り返った。
また、“お風呂入り”に関しても、性風俗店のような行為は一切無かったとしつつ、置屋のお母さん、お姉さんが見守る中、「一対一ではなく、皆で入ったことはあった。女の子はタオルで隠すような感じで…」と明かした。
宮崎県内で飲食店を経営している元舞妓のれいなさんは「私が見聞きした世界の範囲でしかお伝えはできないが、自分はそのような経験をしたことがなかった。ツイートを見てとても驚いた」と証言する。
「飲酒については私のいた花街、お茶屋さんでは20歳まではなくて、お座敷遊びで負けた時の罰杯も、芸妓さんのお姉さんやお客様に代わりに飲んでいただいていた。一人でお座敷にいた時は、おジュースで代用していた。確かに、お料理屋さんとかお茶屋さんによって個性はあるが、今は厳しくなっていて。“この子は20歳を超えていないので、お酒は飲めません”とお座敷が始まる前までに説明をしてくださることも多かった」。
その上で、「ツイートがあったということは傷ついた子がいるからだと思う。難しいとは思うが、もし本当にそのようなことがあるなら、変わって欲しい」と話した。
■「横の連携、お客様の自覚、行政のサポートも必要だ」
倉上山田温泉(長野県千曲市)に生まれ育ったことから失われゆく温泉街の芸者文化を取材、自身も修行しながら映画作品にまとめようとしている太田信吾さんは、次のように語る。
「芸者文化を遡ると遊郭に行きつく。そこでは江戸期以降、公認された形での性的なサービス、そして周辺では人身売買が行われていた。それが明治期に出された芸娼妓解放令などによって文化的な要素が強くなっていき、いまの形がある。例えば私が指導を仰いでいる城崎温泉の秀美さんの踊りは非常に美しく、メディアが生まれる前の江戸時代の風景のようなものが身体に宿っている感じがするし、そうしたものに触れられるのは貴重な体験だ。
一方で、そういう文化の中には“宴会芸”、そして罰ゲームとしての飲酒もある。慣れたお姉さま方であれば“飲んでいるふり”をして捨てるとか、その場を上手くやり過ごすテクニックがあるだろうが、そのまま飲まされてしまうということもあるかもしれない。私も未成年の方が飲まれているという話は聞いていないが、やはり各地に残る“奉公制度”のような現実の中で、飲まざるを得ない、というケースもあるのかもしれない。
また、芸者の修業を始めるときに必要な三味線や着物は“借金”という形で手に入れることになるが、お姉さんが値札を作り替えて高額にし、その分だけ長く仕事しないといけなかったというケースは聞いたことがある。横の連帯、お座敷遊びをされるお客様方の自覚、そして行政のサポートなど、全方位の取り組みが大事になってくると思う」。
■「15歳で入ってくる子は年々減っているように思う」
太田氏が指摘した課題について、未成年の労働問題にも厳しいレイ法律事務所の佐藤大和弁護士によれば「舞妓=“芸事の修行をしている個人”として扱われる場合、労働基準法の適用外になる可能性もある」という。また、京都府商工労働観光部に取材をしたところ、「花街における舞妓の未成年飲酒や深夜労働などについては把握していない」とした上で、「もし事実なら、補助金を交付している京都伝統伎芸振興財団(おおきに財団)に対応してもらうよう促す」との回答を得た。
舞妓として6年目、いよいよ芸妓になる決断をするというタイミングで新型コロナウイルスの感染が拡大、「お座敷も少なくなってきているし、続けるのは難しいかなと思い辞める決断をした」というれいなさんは、花街を取り巻く環境についてこう話した。
「芸妓さんになるまでにはお三味線やお囃子、鳴り物類をマスターしなければならず、そこまでに3~5年はかかるので、早い子は中学卒業後、遅い子でも高校卒業後には舞妓としての生活を始めなければならない。私の場合は3歳から日本舞踊の稽古をしていたが、中学校の時に地元の百貨店の京都物産展に来ていらした舞妓さんと芸妓さんを見て、とてもすてきな世界だなと憧れて、高校へは進学せずに花街に入らせていただいた。
お稽古事とかお衣装の準備とか、衣食住をお茶屋さん、置屋さんに負担していただいているので、お給料は“お小遣い”という程度での生活だったが、私の周りには、家庭が貧しいのかなというような子はいなかった。むしろお母さんは、“今の子たちは裕福な子たちが多いかな”と言っていた。それでも、15歳で入ってくる子は年々減っているように思う。ドキュメンタリー番組などを通して厳しい世界だということが知られるようになったし、“せめて高校は卒業してから”という親御さんも多い」(れいなさん)。
■兼近大樹「我々にとっての“普通”で奪っていいのか、という視線を」
慶応義塾大学の若新雄純特任准教授は「大学生になればサークルの新歓で酒を飲むものなんだ、というイメージがあるかもしれないが、実際は今も昔も20歳までは飲ませないというサークルもあったはずだし、時代とともに変わりつつあると思う。それと同じで、京都に花街のお座敷に行ったことがない我々にとっては、どこも同じだと思ってしまう部分もある。そこは気を付けなければならない。ただし、伝統や文化というのは残す物ではなくて、残った物だと思う。つまり時代が変わる中、残った物だからこそ貴重で価値がある。伝統だから、文化だから変えないではなく、変わるべき部分は変えて、それでも残り続けたものを大切にしよう、という考え方をすべきだ」と指摘。
EXITのりんたろー。は「芸能界を含め、今まで表に出なかったもの、治外法権だと言われていたことでも潮目が変わってきていると思う。良い部分だけを残してアップデートしていけば新しい子も入ってきやすく、海外の人も楽しめるものになっていくと思う」。
兼近大樹は「世の中には、中にいる人たちにとっては普通で当たり前だけど、外にいる人にとっては当たり前ではない、ということがたくさんある。それこそ学校や部活がそうで、情報がない状態で“憧れ”だけで入っていった結果、思っていたのとは違った、ということが起こりがちだ。それでも、中にいる人にとってはグレーな場所だから居心地がいいという人、若い頃からそれでやってきたやり方でしか生きられないという人もいる。そういう人たちにいきなり変えろといっても変わらないし、居場所を奪うのか、という話にもなる。知らない世界の物事を、我々にとっての“普通”で奪っていいのか、どうすれば変わっていけるのか、というところに目を向けて議論しないといけないと思う」と話していた。(『ABEMA Prime』より)
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