原爆投下から77年――広島と長崎の当時を知る人々は年々減る一方だ。そうした中、デジタルの力でその日の出来事を保存し、世界に発信する取り組みが行われている。
3Dの地図に浮かぶ赤い丸と、その下に並ぶたくさんの人々の顔写真。これは77年前の8月6日、広島に投下された原爆にまつわる証言や記録を集めた「ヒロシマ・アーカイブ」だ。顔写真をクリックすると、8月6日の様子を語る被ばく者の動画が始まる。
「外から一歩入ると、『ドカーン!』と。朝から照明弾が来たような感じで、すごく光った。それが印象に残っている」(上野照子さん)
77年という月日を越え、風化しつつある原爆の記憶が当事者の口から語られる。
今回、このデジタルアーカイブの中心人物である東京大学大学院・渡邉英徳教授に話を聞いた。
「この場所(広島女学院高)にズームしてみると、たくさんの方々の顔写真が集中している。地図を表示してみると、『広島女学院中学校・高等学校』と書いてある。生徒さんたちが学校でマップを見たときに、まさに今過ごしている学び舎と同じ場所で77年前に先輩たちが原爆の被害を受けたんだということが実感しやすくなる」
デジタルアーカイブを手がけていた渡邉教授は2010年、長崎の被ばく3世の若者たちから依頼され、原爆被害の証言や資料をまとめた「ナガサキ・アーカイブ」を発表した。すると、広島の被ばく2世の方から、「広島版も作ってほしい」と依頼が来たそうだ。
2つのアーカイブには、当時の写真や証言といった資料が合わせて450件以上集められている。これらは地元新聞社などから提供されたものだけではなく、地元の学生たちが集めた証言も収められている。
「若者たちの『証言を聞いて未来に受け継ぎたい』という意思が裏打ちされているから、あるいは被ばく者が『後世に記憶を残してほしい』という意思がマップの向こうにあるから、ヒロシマ・アーカイブは力を持っているんだなと思う」
厚生労働省によると、被ばく者の平均年齢は84.53歳となり、当時を知る“語り部”たちの高齢化が年々進んでいる。しかし、その証言はデジタルの力で永遠に後世へと語り継がれていく。
「被ばく者の方々は、原爆投下前は普通の人だった。何かタグがついてるわけではない。一市民だったが、ひとたびその被害を受けると『被ばく者』と呼ばれるようになる。生まれてからどのような人生を歩んできて、原爆投下後にはどのような人生を歩んだのか。楽しいことも悲しいことも聞き取る方針で進めている。だから、マップの中には笑顔の写真もある」
今年、渡邉教授はウクライナ侵攻による被害をまとめたアーカイブを制作した。このアーカイブには、新たな試みが用いられている。
「被害の状況を3Dで捉えたデータを載せてある。ウクライナの地元の方が被害を受けた住宅をドローンで撮影して、それを3Dのデータに変換したものをインターネット上で皆さんが公開している。ヒロシマ・アーカイブのときは、1人1人の書いた文章や写真、証言のビデオだったが、ウクライナの市民は自分たちが経験した被害を立体で記録して世界中に発信しようとしている」
そんな人々の思いが込められたアーカイブの数々が、8月6日からNPT(=核拡散防止条約)の再検討会議が開かれているニューヨークで展示されることになった。
ウクライナ侵攻が起きている最中で、8月を迎える。渡邉教授はこのプロジェクトにかける思いを次のように語る。
「皆さんが一市民の目線に降りていけば、『二度と核兵器による被害が起きてほしくない』というのは共通項として持っていると思う。世界中に危機感が満ちている時代だからこそ、1人の市民の目線をみんなで取り戻して、“どうすれば3発目の核兵器が使われないようにすることができるのか”ということをじっくり考えて、それについて身近な人と話し合うようなきっかけが生み出していければな思う」
(『ABEMAヒルズ』より)
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