10月16日、プロレスリング・ノアの福岡国際センター大会で、武藤敬司の「福岡ラストマッチ」が行われる。武藤敬司のレスラー人生を語る上で、福岡は重要な場所だ。1993年と1994年の福岡ドーム(現・福岡PayPayドーム)では、グレート・ムタとしてそれぞれハルク・ホーガン、アントニオ猪木という日米の超ビッグネームとシングルで対戦。
1995年の5・3福岡ドームでは、橋本真也を破り「武藤敬司」として初めてIWGPヘビー級王座を獲得。ここで王者となったことで、同年10・9東京ドームでの高田延彦との歴史的な一戦へとつながった。
そして今回の「福岡ラストマッチ」会場である福岡国際センターにおける最も重要な試合のひとつとして挙げたいのが、1992年8月16日に行われたグレート・ムタと長州力の初対決だ。
この試合は、長州の持つIWGPヘビー級王座とグレーテスト18クラブ王座の2本のベルトにムタが挑戦した一戦。「グレーテスト18クラブ」とは、1990年にアントニオ猪木のレスラー生活30周年を記念してプロレス・格闘技界のレジェンド18人によって結成された会で、発起人であるルー・テーズをはじめ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンなどプロレス界のスーパースターだけでなく、モハメド・アリまで名を連ねていたりする。
グレーテスト18クラブ王座は、その同クラブが認定するタイトルで1991年2月25日に長州力を初代王者に認定。長州は同年の1・4東京ドームで藤波辰爾を破りIWGPヘビー級王者にもなっており、まさに新日本プロレスのトップに君臨していた。
武藤はこの年、5・17大阪城ホールで長州の持つIWGPヘビー級王座に挑戦し、互角以上の闘いを展開したものの最後はリキラリアット連発の前に完敗。8・16福岡国際センターでの長州vsムタは「今度は俺からグレート・ムタを逆指名する。でも、ムタも武藤も一緒だろう」という発言によって実現したものであり、武藤(ムタ)にとっては背水の陣でもあった。
こうして迎えた長州vsムタの初対決。試合はムタの独壇場だった。正攻法で攻める長州が雪崩式ブレーンバスターを狙ったところ、ムタは長州の顔面に毒霧を噴射。長州の視界を奪うと、ビール瓶で頭を殴打してから、場外マットを剥がしたコンクリートの床にフェースクラッシャーで叩きつけ、長州を流血に追い込む。
そのまま一方的に長州を痛めつけ、最後はムーンサルトプレス2連発でピンフォールを奪い完勝。さらに、それだけでは飽き足らず、大の字になった長州に腕ひしぎ逆十字を仕掛けてさらに痛めつけると、どこからか持ち出した消火器を長州に向けて噴射! やりたい放題、悪の限りを尽してIWGPヘビー級王座とグレーテスト18クラブ王座の2本のベルトを強奪した。
この長州戦は、90年の9・14広島サンプラザでの馳浩戦で覚醒したグレート・ムタによる“悪の化身”としての闘いが完成した試合といってもいいだろう。
この4日前には蝶野正洋が「G1クライマックス」二連覇を達成し、同時にNWA世界ヘビー級王座を獲得。ムタのIWGP王座奪取は蝶野二連覇と合わせて、本格的な闘魂三銃士時代到来を感じさせる記念碑的な一戦ともなった。
またムタvs長州は、ファン待望の初対決にも関わらずテレビ放送は行わず『闘魂Vスペシャル』というビデオソフトに独占収録され、3800円という当時としては安価で発売。大ヒットを記録した。これは今で言うと、地上波テレビ放送をあえて行わず、有料のPPV(ペイ・パー・ビュー)で大きな収益を得たようなもの。グレート・ムタvs長州力というビッグカードは、今から30年前にPPV時代をも先取りしていたのである。
文/堀江ガンツ
写真/週刊プロレス