サッカーワールドカップの興奮冷めやらぬ中、3月にはWBCが始まるなど、スポーツのビッグイベントが相次いでいる。しかし、同じスポーツでも男性と女性の環境には格差がある。ニュース番組『ABEMAヒルズ』では「男女で体力差があるから仕方ない」のかスポーツとジェンダーの研究をしている「立命館大学 産業社会学部」教授の岡田桂氏と共に考える。
――興行的な人気や資金、メディアの伝え方の問題など、これらが女性スポーツに与える影響はどういったことがあるのか。
岡田:「プロを頂点として考えたときに、女性と男性のスポーツに関してはまだまだ格差があるのが現状。賞金などの問題に関しては、なかなか平等にならないことが長く続いてきた。ただ、テニスでは、70年代にビリー・ジーン・キングという有名な選手が意識的に働きかけて、男女の賞金額が同じになったという例外的なケースはある。一方で、プロのスポーツと違ってアマチュアや教育のスポーツは違う価値観で動いている」
――スポーツにおける男女格差でよく言われるのが「体格や体力差があるから仕方ない」という声。「中学生体力調査の結果」をみてみると、「長座体前屈」を除き、男子が女子を数字では上回っている。この結果から“体力差”をどう考えるかだがそもそも この「体力」とは何なのか。
岡田:「日本の場合はこの8項目を使って体力測定を行なっている。ただ、7項目は筋力を中心としたものが有利に働くものを測っていて、長座体前屈だけが柔軟性を測る項目。女性が上回るのは柔軟性の部分だけなので、逆にいうと男性が有利になるものばかりを選んで測っているのが体力だといえる」
――測定基準を見直すという考え方もあるのか?
岡田:「本来はその可能性もあるが、そもそもこの8項目を測るようになったかというと、人間の体の力で重要な順に8個選んだわけではない。むしろスポーツの世界で役に立つ、高いパフォーマンスにつながりやすい筋力を中心としたものばかりを体力だとして測ってきたという歴史がある。そういう意味でいうと、科学的で中立的だと思われがちな体力の概念は、かなり恣意的というか、男性が有利になりやすいものばかりを体力として測っている」
――しかし、現状だと「男女分け」しなければ、女性がスポーツをする機会を確保するのは難しい。ただ、分けてしまうと男性と比べられてしまう。これについてどうか。
岡田:「スポーツの成り立ちは19世紀くらいにイギリスで、思春期くらいの男性が男子校で自分たちでやって面白いと思った身体の活動から始まる。それが徐々に今の主流のスポーツの形になってきた。元々、男性の体の特質が上手く働きやすいものだけがスポーツになってきたので、逆にいうとスポーツ自体が男性有利なものになっている。後から女性が参加してくると男性の基準に合わせないといけないので、どうしても不利になってしまう。そもそもの土俵が不平等なものだといえる。
体力もスポーツを中心に測られてきたので、体力が高いからスポーツができるというのか、スポーツで有利になるものを体力としてきたのかという、堂々巡りの状態になっているのが現在。なので、女性も参加するとなるとカテゴリを分けて参加の機会を確保することになる。しかし、それをすると、本格的なスポーツは男性が上で、女性はその次だよね、と固定化してしまうという非常に難しい状態に陥る」
――では、男性中心でできたスポーツの中で、どういった変化があれば女性のスポーツ環境はよりよくなるのか。3つ挙げられている中で、1つ目が「男女の特性が出ないようなルール変更」ということだが、どういうことか。
岡田:「最近はオリンピックに採用される種目でも大きな流れがあって、男女差が出にくいとか、男女ができる競技が新たに採用されるという傾向がある。典型的なものでいうとeスポーツやダンス系。空手の型種目も採用された。
これまで男女差がないオリンピック種目は乗馬だった。乗馬の場合は自分自身が競い合うというよりは、馬の力を使って競技をするところで男女差が出にくいが、そこには歴史的な経緯もあり例外的ではある。
先進的な試みとしては障がい者スポーツが挙げられる。パラスポーツの一部種目は体の能力をかなり細かく区切って、チーム全体で力がならされるようにする競技もある。こういうものだと男女差がなく一緒にできる可能性もある」
――非常にいい方法だと思うが、この方法ととることによる問題点はあるのか
岡田:「多くの人にとってはこれまで馴染んできたサッカーやラグビーといったものが“スポーツの本流”。特性が出ないようなスポーツは、『本流のスポーツとは別』と、意識されやすいというのはある」
――続いて、2つ目「スポーツを編み出す」とはどういったものか。
岡田:「フィギュアスケートや新体操などは、女性に合うものとして後から発達してきた。昔の男性中心に作り上げられてきたスポーツではなくて、女性の方が活躍しやすいもので、多くは審美的、ダンス的なもの。あとは、イギリス系のものだけでなく、アジアやアフリカなどいろいろな地域にはそこに合った体を使った遊びや競技があって、その中から男女差が出にくいものを探してくることも十分可能」
――それによる問題点はあるのか。
岡田:「女性に向いている種目を作ると『これは女性のものだよね』となる。これまでのスポーツを受け入れていた人たちからすると、やはり男性はパフォーマンスで上回り、女性は見て綺麗なもの、と区切った形になっていきやすい」
――最後に、3つ目「それでも現行のスポーツをやりたい」という思いにはどうすべきか。
岡田:「プロとそれ以外のスポーツ、アマチュアや学校スポーツというものは少し価値観が違うので一旦分けて考えた方がいい。プロの場合は、観る人やスポンサーがいて、そこにお金が商業的に回ってくるが、そのスポーツを好むか好まないかをコントロールしていくのはなかなか難しい。将来的には平等になっていってほしいが、そこにいくまでにはまだまだ時間がかかる。
一方で、プロとしてたくさん稼いで活躍したいという思いとは別に、自分がそのスポーツをしていく機会が欲しいと考えるなら、学校スポーツの中で男性にある部活は必ず女性にも作る、あるいはスポーツ推薦で大学に進学する場合も、同じ協議で必ず同数の男女を受け入れるとか、大学レベルまでそういう平等を作っていく。そうすれば、少なくともプレーする機会においては相当な部分まで平等を突き詰められる可能性はある」
――今後スポーツとジェンダーを考えていくうえで重要な点はどんなことか。
岡田:「何となくスポーツと体力はこういうもので、中立なものだ、というイメージがあまりにできすぎている。そもそも今主流のスポーツは男性が有利になるように歴史的にできていることをみんなが知っておくことが重要。それを女性と男性でやった際にパフォーマンスに差が出るのは当然なんだと。
あとは、体力とスポーツのパフォーマンスが高いほど本当にいいのかという価値観。そもそも、必ず男女差が出てしまうものを教材として学校で使って良いのか。使っていくなら『差は出て当然で、これが男女の身体の力の優劣ではない』ということを、学校を通じて知っておくことが重要」
(『ABEMAヒルズ』より)
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