「ハッキリ言って、ストロングスタイルを壊したのは武藤ですよ」

 これは“格闘王”前田日明が、武藤敬司について語った言葉である。ここで言う「ストロングスタイル」は、「猪木プロレス」と言い換えてもいいだろう。感性の鋭い前田の言葉は本質を突く。時代が昭和から平成に移り、武藤は新日本プロレスのリング上から「猪木プロレス」を消した。すなわち、あの時代の新日本を猪木色から自分の色に変えることができた唯一の男が武藤敬司だったということだ。

【画像】武藤からSTFでギブアップを奪った蝶野

 武藤より前の世代の新日本のレスラーは、藤波辰爾も長州力も初代タイガーマスクの佐山サトルも、そして冒頭の言葉の主である前田日明も猪木から強い影響を受けてきた。もしかしたら影響という生やさしいものではなく、猪木の呪縛というべきものだったかもしれない。それぞれもがき苦しみながらファンの大きな支持を集め一時代を築いたが、それは猪木的世界観の中での出来事でもあった。

 ところが武藤敬司は、1990年4月、2度目の凱旋帰国で新日本プロレスの景色と雰囲気を一変させた。当時の新日本は、1989年の参議院議員選挙で猪木が初当選し現役をセミリタイアし、猪木不在のまま「猪木プロレス」が続いていた時代。マット界全体を俯瞰すれば、「プロレスは闘いである」という猪木の思想を先鋭化させた前田日明率いる第2次UWFが社会現象とまで呼ばれるブームを巻き起こしており、新日本は冬の時代と呼ばれていた。

 そんな中、アメリカのメジャー団体WCWでグレート・ムタとしてトップで活躍していた武藤が凱旋帰国。90年4.27東京ベイNKホールで行われた帰国第1戦(武藤敬司&蝶野正洋vsマサ斎藤&橋本真也)において、アメリカで培ってきたダイナミックなプロレスを展開。最後は必殺のムーンサルトプレスでマサ斎藤を破りタッグ王座を奪取し、一気に大ブレイク。たった1試合で新日本プロレスのムードを情念渦巻く猪木的世界から、華やかなで明るいものへと変えたのである。

 ただし、本当の意味でプロレスを変えるのは並大抵のことではなかった。90年代の新日本においても、猪木イズムの影が薄い武藤のプロレスは古参ファンからの風当たりが強かった。また、当時の新日本のテレビ放送はすでに深夜帯の時代。東京ドームをいくら満員にしても、ゴールデンタイムで放送されていた時代の選手たちの抜群の知名度や、ファンの美化された記憶と常に比較され続けた。

 「思い出とケンカしたって勝てっこない」という武藤の有名な言葉は、そんな苦しみを吐露しつつ、それでも自分の信じた道を進んでいくという決意を込めた発言だったのである。その結果、武藤は当時の若いファン層から絶大な支持を集めるようになる。

 2000年代半ばからエースとして新日本を支えた棚橋弘至や、今回、武藤の引退試合の相手を務めた内藤哲也は、90年代のファン時代に武藤に憧れてプロレスラーになろうと決めたことを公言している。またWWEのシンスケ・ナカムラこと中邑真輔も、元日のグレート・ムタ戦のあと「グレート・ムタはマイ・アイドルでした」と語っている。

 武藤は「プロレスラーの価値はある意味、どれだけ多くの人に影響を与えたか。だから力道山、馬場さん、猪木さんはすごいレスラー」とたびたび語っているが、90年代以降でもっとも多くの人に影響を与えたのは武藤自身であり、現在のプロレスはそんな武藤の影響を強く受けているのだ。

 90年代に一時代を築いただけでなく、2000年代に入りプロレスがふたたび冬の時代を迎えようとしていた時、その最前線で体を張って闘ったのも武藤だった。2001年末、元レフェリーの暴露本によりプロレス界が激震に襲われながら、多くのレスラー、関係者が黙殺する中「俺はもともとプロレスは最高のエンターテインメントだと思ってるよ」と語り、堂々とプロレス本来の面白さや魅力を訴えたのが武藤だ。

 そして総合格闘技人気に押され、ファンもレスラーもプロレスに対して自信を失いつつあった中、プロレスでしか表現できない名勝負を次々と展開していった。現在、武藤の代名詞となっている「プロレスLOVE」という言葉は、2000年代前半に危機を迎えたプロレスを守るための言葉だったのである。

 あの時代、プロレスに対する世間の偏見を真っ向から受け止め、闘っていた武藤敬司。試合スタイルこそまったく違うものの「世間と闘う」という猪木イズムの根底をなす姿勢を武藤も受け継いでいた。だからこそ武藤は、「俺の中にも猪木イズムは生きているし、猪木さんの影響を多分に受けている」と語るのである。

 2.21東京ドームでの引退試合の最後、リング上から武藤へ贈る詩の朗読を披露した古舘伊知郎の言葉に「これ昭和プロレスの終焉なり」という一節があった。

 引退試合後のコメントで武藤もそれに同意している。

 「今日、まじまじと古舘さんの言葉を聞いていて、『これで猪木プロレスが終焉だ』というようなことを言っていましたよね。俺もそう思うし、たぶん今から新しいプロレスっていうものが生まれてくるんじゃないですか」

 若手時代にゴールデンタイムで放送されていたプロレスを経験している武藤は、「世間と闘い続ける」という猪木の姿勢を肌で知る最後の世代。武藤は表面上は飄々としながら、体がボロボロになるまでそんな宿命を背負って闘い続け、新たな世代にプロレスを託した。

 武藤敬司の現役時代は1984年10月デビューで2023年2月引退の38年4カ月。1960年9月デビューで1998年4月まで闘い続けたアントニオ猪木と、奇しくも同じ約38年間だった。

(C)プロレスリング・ノア

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