「震災番組は見ない」小5で被災…学生語り部が明かす活動意義とは? メディアの震災報道を考える
【映像】「震災の特番は見たくない」小5で被災した男性
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 東日本大震災から12年。3月11日は、今年も日本各地で黙祷が捧げられた。一方、長い年月が過ぎる中で、ある課題が浮上している。

【映像】東京・銀座の時計台の前で黙祷する人々の光景(画像あり)

 今年行われた調査によると「風化を感じる」と答えた人が、被災した3県と関東地区の1都3県で、いずれもおよそ7割となった。

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 震災の記憶を、後世にどのように伝えていけばいいのだろうか。ニュース番組「ABEMA Prime」では、若き語り部と考えた。

 現在、東北学院大学4年生の雁部那由多さんは、小学5年生のとき、宮城県東松島市で津波を経験した。

「小学校で被災体験を言葉で伝える活動をしている。時系列に沿って、起こったことを最初から最後まできちんと再現して伝えるようにしている。被災地だと誰もが被災者だから、県外が多い。県外の人は『何があったのか』から聞いてくれるので、私も言葉にできる」

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 16歳から語り部として活動している雁部さん。きっかけは何だったのか。

「高校の頃までは、そもそも言葉にすることが地元でタブー視されていた部分があった。2014年の3月11日、みやぎ鎮魂の日シンポジウムがあって、そこで先生に『語っていい。言葉にしていい』と言われた。そこで初めて言葉にした」

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 当時、小学5年生だった雁部さんは、自分の目の前で人が流されていく光景を見た。

「私自身も津波に浸かっていた。たった1メートル先で、手を伸ばせばつかめた。私は偶然、波の方向が分かれて、九死に一生を得た。その体験が後々『人を見殺しにしてしまった』という罪悪感になった。だが、これは特別なことではない。そういうことが当時はたくさん起きていて、そのうちの一つでしかない。『誰でも起こり得る』とどうしても伝えたい」

 ジャーナリストの堀潤氏は「当時取材していた小学生たち、中学生たちが大人になって語ってくれている様子を見て、本当に感謝している」と話す。

「絶対に聞けなかった事実を本人たちが語り始めている。たくさん報道もされて伝えられてきた東日本大震災だが『知らないことがまだあった』と気づかされる。今はテクノロジーが発達しているから、語り部の声を生で聞けるうちに、データで残していく責任がある」

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 雁部さんは「思い出しているとしんどいから、言葉にすることで吐き出して楽になりたかった。半分は自分のために言葉にしている。もう半分は誰かに聞いてほしい、役に立ってほしい。ギリギリでバランスを保ちながら語っている」という。それでも「いつか語れなくなる。その恐怖と戦っている」と話す。

「私が語れなくなるというのは、震災からだんだん離れていっているからだ。中学生、高校生のときは、小学校5年生の頃の自分に戻れた。だから、あのときの目線のまま話すことができた。最近になると、まるで空を飛んで、上から見ているかのような風景だ。語る言葉も当時と全然違う。同じことを話し続けるのは、正直不可能だと思う」

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 12年経ったことで震災特番も放送時間が短くなったり、放送自体をやらない番組もある。中には映像を「見たくない」「見ない」という人もいる。雁部さん自身はどう思っているのか。

「基本的に私は震災番組を見ない。理由は私の中に体験があり、つらいからだ。一被災者としては『震災特番はもうやめてほしい』と思うときもある。いつまでも『あなたのところは被災地だ』と言われているような気がするからだ。一方で発信する立場になると、3月11日の放送がものすごく大事な意味を持っているようにも感じる。1月17日に起きた阪神・淡路大震災は私が生まれる5年前の災害で、教科書で勉強した。災害の映像を見るのはだいたい1月17日だった。私が語り部を始めるとき、1.17からヒントを求めた側面もある。自分の中で二律背反というか、どうしたらいいのか、矛盾した気持ちがある」

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 戦争や被爆の経験を伝えることは、震災以上に時間が経っている。語り継ぐ難しさについて、NPO法人ピース・カルチャー・ビレッジの専務理事である住岡健太さんは、こう話す。

「広島は原爆投下から78年だ。お話しされる当事者、被爆者が少なくなってきている。次の世代に、これから未来に向けてどうやって継承していくかが大きな課題になっている」

 広島で被爆3世として生まれ、戦争体験を伝えるために若者の語り部を育成している住岡さん。NPO法人ピース・カルチャー・ビレッジでは、ガイドを増やすためにボランティアではなく、報酬を支払っているという。

「地元新聞が調査した結果、2025年に被爆者団体の37%が活動困難になるとされている。もちろん高齢化もあるが、理由の1位は『継承者がいない』、2位は『資金がない』だ。経済を循環させながら、継承者を増やし、伝え続けていく仕組みを作る活動をしている」

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 10人だったガイドは、今では100人に増えた。住岡さんは「報酬だけを目当てに活動している若者はいない」という。直接の語り手ではない人が歴史を語る上で、気を付けていることはあるのか。

「僕自身も被爆3世だ。幼い頃から祖母の体験を聞いて育った。祖母は『自分がした体験はあまりにも地獄だった』と話していた。自分が体験した内容をそのまま残していくことを望むというより、僕たちの世代や次の世代には『二度と体験させたくない。こんなことが起こらないように考えてほしい』と。その思いを受け入れて、自分の考えをしっかり持って、発信していくことが大切だと思う」

(「ABEMA Prime」より)

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