そんな想いから周囲を説得し、廃止に踏み切った小学校の元PTA会長から話を聞いた。見えてきたのは“しがらみと壁”だった。
協賛企業の商品についたベルマークを集め、ベルマーク財団(ベルマーク教育助成財団)に送ることで、学校の備品や教材を購入できるベルマーク預金。それは特別支援学校や災害被災校への支援にも使われている。
この運動には、全国の小学校で7割、中学校で6割が参加。一言でベルマークを集めるだけといっても、集めた後に学校ごとで仕分け、集計し、郵送するという多くの手間がかかり、中でも集めたものを切って台紙に貼り付ける作業は大変なものだ。その上、30人でひたすら切って貼る作業をしてもわずか数千円分にしかならないことも。
その現場を目の当たりにし、廃止に踏み切ったのが東京都江東区立豊洲北小学校で6年間、PTA会長を務めてきた浅見純一郎さんだ。
ベルマーク収集する時間が楽しいという方が一部いたものの、地域柄忙しい父母も多かったこともあり「きついな」と言う意見も多かったため、浅見さんはベルマーク運動を廃止するために奔走した。
しかし、ベルマーク運動のために学校内で組織が作られていたり、経験者などから存続の力が働くなど、いくつもの壁が立ちはだかり、なかなか進めることができなかったという。
そんな時、副校長先生の「あれ大変ですよね」という一声で、PTAや先生方から意見を聞き、役員会にてベルマーク運動の廃止が決まった。
2019年度にベルマーク運動を廃止してからも特に問題は起きていないそうで、浅見さんは「意味がないことをやる必要はない」「子どもにとってコストパフォーマンスがいい活動をしていくのが重要だと」と考えている。
ベルマーク運動を受けて、両親が教員という慶応義塾大学特任准教授の若新雄純氏が「我が家でかつてベルマーク事件が起こった」と、当時の話を明かした。
「当時、母が一生懸命ベルマークを切って集めている姿を見ていて、子どもながらに“価値のあるもの”だと感じていた。特にまだ幼かった弟もそれを見ていて、『お母さんはベルマークを大切にしているから僕も集めてあげよう』と言って、母に内緒でいくつか集めて、貯まったものをプレゼントしたんだけど、母は『別にお母さんベルマーク欲しくない!』と、一生懸命集めた弟に向かって言ってしまうことがあった。当時は母の行動が理解できなかったが、ベルマークの仕組みを調べたときに、学校の課題で渋々集めていたんだなと言うことがわかって納得した」
そんなベルマーク運動は1960年代から始まり、参加学校は横ばいとなっている。なぜ、今もなおこれだけ取り組んでいる学校があるのか。
「当時は間接的に企業協賛するような社会運動の一つだったと思う。それがだんだんと時代に合わなくなってきていて、始めた当初は良いことではあったから、“なんとなくいいこと”を辞めるための積極的な理由を見つけられずにいる状態だ」
これはPTAの“しがらみ”からなのか?
「『頑張って目標枚数集めましょう!』とみんなでやり遂げて絆を深めるための口実になっているとしたら、一部の子どもにも負担がかかるし、ブラック労働が問題になっている教員にまで負担や影響を及ぼすので、誰かが勇気を持って見直すしかない」
今なおこの運動に小学校では70%近くが参加している点については。
「これは逆に言えば、3割近くがやってないと言うこと。となると、PTAを担うことになった人たちが思い切って時代に合わせて『もういいんじゃないですか?』と声を上げられるのでは。そして、学校全体をいろんな文脈から捉えることが許される校長先生がPTAと協議することが大事だ」
(『ABEMAヒルズ』より)
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