WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦が7日、東京・両国国技館で行われ、WBA王者の井岡一翔(志成)はIBF王者のフェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)に3-0判定負け。王座統一を逃すととともに、WBA王座の2度目の防衛に失敗、タイトルを失った。
両者ともに力を出し切ってのフルラウンドの攻防。熱狂冷めやらぬ中、リングアナウンサーが読み上げたスコアは116-112、117-111、120-108。「意外と開いたな」との印象を会場に与えたあと、高々とコールされた名前は「青コーナー、マルティネス!」。歓喜の雄叫びを上げるマルティネス陣営を尻目に、井岡は静かに敗戦を受け入れた。花道を引き返す“前王者”の瞳に涙が浮かんでいた。
技巧派の井岡と、ファイター型のマルティネス。そんなステレオタイプな見方に反発するかのように、井岡は試合前から「相手の距離で戦う」と公言していた。相手の土俵で打ち勝ち、相手の長所をつぶすことで圧倒的な勝利を手に入れる。井岡は試合前から立てていたプランを初回から実行に移した。
先に仕掛けたのはマルティネスだった。がっちりとガードを固めて、分厚い体で井岡に肉薄。左右のフック、左アッパーをいきなり振り回した。荒っぽくはあるが、パンチはシャープだ。戻しの速さにディフェンス意識の高さを感じさせる。井岡は思わず下がってしまうが、ブロッキングとダッキングで対処。嵐が小康状態となった瞬間、公約通りに前に出た。
ここで早くも山場が訪れる。井岡が得意のコンパクトな左ボディブローを突き刺すと、マルティネスの動きがパッタリ止まったのだ。マルティネス自身が試合後、「ボディは効いた」と認めた一発を、井岡は次のように振り返った。
「1ラウンド、絶妙のタイミングで左のボディが入って、効いて、しゃがむか、しゃがみこまないかというところ。そこが一番の大きな分かれ目だったのかな、というのが終わってから思います」
井岡は一気に攻め落とそうとした。しかし、マルティネスはがっちりとガードを固め、脚は止めずに動かして、井岡のアタックをやり過ごすことに成功する。回復の早さはタフネスの証明か。ラウンド終盤には再び強打を打ち込み、一瞬のピンチをなかったのごとくしてみせたのである。
2ラウンド以降も井岡は前に出続けた。コツコツと決まるボディブローは、マルティネスに確かなダメージを与えていた。ただし、IBF王者の鋭い打ち下ろしの右、左アッパーがWBA王者の顔面を何度もとらえ、パンチの迫力でも上回る。井岡は反応できていないわけではない。「芯を外している」との言葉がリングから聞こえてきそうなのだが、見栄えという点ではやはり苦しい。スコアを見ると、4ラウンドまではすべてマルティネスが押さえる結果となった。
実際に井岡はどう感じていたのか。戦い方を変えようとは思わなかったのか。引き出しの多い井岡であれば、状況を判断し、打ち合いを避け、距離を取って相手をはめていくスタイルへのシフトすることもできたはずだ。少なくも1ラウンドだけでも試してみる価値はあったのではないか。疑問に対する井岡の説明はこうだ。
「セコンドはセコンドでたぶん僕の戦い方に手応えを感じていた。相手に対してボディも効いていたし、ダメージを与えていたので、削れてるなっていう認識の中で進めていました」
「削れてる」はイコール、「試合が進むにつれて相手が弱ってくる」という意味である。実際に井岡は終盤に強いし、パワー系の選手はえてして終盤に失速する傾向がある。ところがマルティネスは一向に落ちてくれない。やはりこの選手はチャンピオンなのだ。その戦い方は、実際に目にすると「なるほど」とうならせるのである。
マルティネスは攻撃と休憩を繰り返す。この日も迫力に満ちた連打で井岡に襲いかかったかと思うと、次は一転してガードを固め、脚を使ったり、ウィービングをしたりして井岡のパンチを外した。このようなスタイルは「攻防分離」と呼ばれ、一般的にあまり良しとされないのだが、マルティネスの徹底した攻防分離は井岡に有効だった。
マルティネスの強さを井岡は次のように表現した。
「もらって効いたパンチはなかったけど、(マルティネスのパンチは)体ごともっていかれるような、バランスが崩れるような力がありました。あとは体の厚みがすごかったですね。ガードの上から打っても違う階級の選手に打ち込んでいるような。でかいサンドバッグを叩いているような感じでした」
マルティネスの最大の武器は、嵐のような連打に加え、屈強な肉体に裏打ちされたブロッキング主体の防御だったのだ。リングでそれを知った井岡は戸惑い、それでもなお最後には崩すことができると信じて前に出続けた。マルティネスのパンチをもらっても、その瞬間にすぐにパンチを返した。勝利への執念がリングにほとばしる。会場にイオカコールが何度も沸き起こる。クールなチャンピオンがこの日はどこまでも熱かった。
それでも終わってみれば、終始ジャッジの支持を得ていたのはマルティネスだった。120-108というスコアは「さすがにないのでは」という意見もメディアの中にはあったが、井岡は判定への不満を一切口にしなかった。
「1ラウンド、1ラウンド、全身全霊で戦っていたので判定まで考えていなかった。倒すつもりで戦っていたので、その中で12ラウンドが終わって、勝ったか負けたか、正直感覚としては分からなかったですね。全体を通しては見てなかったので。1ラウンド、1ラウンド、倒す気で戦った結果という感じでした」
常にクールで戦略的な井岡が試合全体の構成をそこまで考えていなかっというのだから驚いた。それだけ井岡のこの試合にかける思いが強かったということなのだろう。
2017年大みそかに引退を発表、翌年に復帰してからは、この階級のビッグネーム、WBC王座を持つフアン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)を目標に世界戦線を戦ってきた。今回、エストラーダとの統一戦はかなわなかったものの、キャリア3度目2団体の王座統一戦は願ってもないチャンスだった。勝って2本のベルトを腰に巻けば、エストラーダからベルトを奪ったジェシー“バム”ロドリゲス(米)との3団体統一戦にも近づけたからだ。
キャリアのクライマックスに向け、大きな展望が拓けていただけに、落胆の大きさは想像に難くない。
「タイトルも持ってないし、自分の考えていたことが白紙になったので、今後のことは考えようがないですね」
己の生き様を貫き、一敗地にまみれた井岡。35歳にしてここから再びはい上がるのか、一つの時代が終わりを告げるのか。日本歴代最高となる26試合目の世界タイトルマッチを終えた名王者がボクシング人生の岐路に立った。