世界4階級制覇の井岡一翔(志成)が12月31日、東京・大田区総合体育館でWBAスーパーフライ級王者のフェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)とダイレクトリマッチを行う。今年7月7日に行われたWBA&IBF同級2団体統一戦で、マルティネスが3-0判定勝ちしてからおよそ半年。井岡はなぜ第1戦に敗れ、ダイレクトリマッチを希望したのか。そして再戦に勝算はあるのか。4階級制覇王者が下した決断の背景に迫る。
七夕の夜、井岡はキャリア3度目の敗北を喫し、5年にわたって君臨した世界王座から陥落した。ジャッジ1人がフルマークをつける3-0判定負け。21歳で初めて世界チャンピオンとなり、10年以上もトップ戦線を走り続けてきた井岡も35歳。試合直後は「もう引退してもいいのでは」とささやく声が耳に入ってきた。
しかし、井岡に引退の意志は微塵もなく、再起に向けた行動は早かった。試合後、休養先のハワイから志成ジムの二宮雄介マネジャーに連絡を取り、「ダイレクトリマッチの交渉をしてほしい」と要望したのである。敗北から3週間程度、7月下旬のことだった。
これには二宮マネジャーも驚いたという。
「もう少しすれば会うことになっていて、そこでこの先の話をするつもりでした。それを待ちきれないくらいの気持ちだったのでしょう」
井岡は再起を決めた心境を次のように説明した。
「(キャリアの中で)こういう立ち止まるタイミングがあって、結局はまた走り出す。考えて煮詰まっても、いつかは走り出すときがくる。だったら早いほうがいいと思ったんです。では、どうがんばろうかと考えたとき、ダイレクトリマッチが一番の理想でした。負けた相手にリベンジする。はい上がる姿が一番伝わりやすいと思いました」
マルティネスとの交渉は簡単ではなかったはずだ。統括団体は通常、判定が明らかに偏っていたなどはっきりした理由がなければ、ダイレクトリマッチを認めない。多くの選手にチャンスを与えるためだ。結局、IBFからはダイレクトリマッチを認められず、WBAがマルティネスと井岡のタイトル戦を承認した。もちろん、マルティネスは再び日本まで来るリスクを冒すわけで、それなりの条件を求めたことだろう。それらをすべてクリアし、因縁の再戦が成立したのである。
■怖い気持ちもあるが「必ず勝てると思う」
こうした決まった雪辱戦だが、井岡にとっては決して簡単な試合にならないことは言うまでもない。何しろ一度は負けている相手なのだ。もう一度負けるようなことがあれば、今度こそ「引退」の二文字を突きつけられることだろう。井岡自身「怖いという気持ちはある」と正直に胸の内を明かす。その一方で、「必ず勝てると思う」との言葉からは確かな自信が伝わってきた。その根拠は第1戦にあった。
7月の試合前、両者は「テクニックの井岡」、「手数とパンチ力のマルティネス」と色分けされていた。井岡が勝つならクレバーな技術戦でペースを引き寄せ、マルティネスを空転させてポイントで引き離す。マルティネスが勝つなら馬力と手数で井岡を下がらせ、攻勢をキープして逃げ切る。そんな予想が一般的だった。
しかし、蓋を開けてみると、試合は意外な展開を見せる。スタートからブンブン振りましたマルティネスに対し、井岡が渾身の左ボディを打ち込んで初回にダメージを与えると、ここからマルティネスはプランを一転、フットワークも使いながらクレバーに試合を組み立てたのだ。井岡はあまり予想していなかった「追いかける展開」を強いられた。
井岡は公約通り果敢に打って出た。打撃戦を辞さなかった。マルティネスに立ち向かっていく熱気と勇気が観客の心をとらえた。それは決して悪いことではない。ただし、これまでの常にクールで、詰め将棋のように相手を追い詰めていく井岡を思い出すと、少し「らしくないな」と感じられたのも事実だった。
「なんていうか、あの日はひたすら倒しにいってただけなんですよ。1ラウンドに効かせて、それはからとにかく倒そうとした。ボクシングをしていないんですよ。相手の方が臨機応変に、その時々の状況に対応していました」
いつもの井岡ではなかった。さらにそれを自覚しながら、こうも口にするのである。
「僕たちの世界は勝ち負けがすべてだし、敗者が美化されることはない。でも、あの試合、自分が出し切った、やり切ったという思いがすごくありました。1ラウンドに開始のゴングが鳴って、最後までまっとうに戦った。いいか悪いか分からないけど、勝ち負けなんて全然分からなかったです。同じ負けでも、過去の2敗とは全然違います」
井岡の初黒星は14年5月、3階級制覇をかけIBFフライ級王者、アムナット・ルエンロン(タイ)に挑戦して2-1判定負け。2度目は18年大みそか、4階級制覇をかけたWBOスーパーフライ級王座決定戦でドニー・ニエテス(フィリピン)に2-1判定で敗れた。
井岡に言わせると、この2試合は戦況を冷静に分析し、ポイントをしっかり頭に入れて勝利を狙ったものの、本人曰く「置きにいきすぎた」結果、小差で判定負けしてしまった。最後の一滴まで絞りきった試合とはとても言えず、大きな悔いが残ったという。マルティネス戦は敗れたとはいえ充実感があった。井岡の言う「全然違う」とはそういう意味である。
ならば井岡は全力ファイト、真っ向勝負ができたのなら、負けても仕方がないと考えるようになったのか。もちろんそうではない。大事なのはバランスだと井岡は言う。
「全力を出し切ることは大切ですけど、第3者的に俯瞰しているような気持ちも大事なんです。それが前回は、偏りすぎてしまった。何でなんでしょう。家族もできて、日本人として考えるべきことも深くなってきて……いろいろなものが熱くなりすぎました」
■「気持ち一つ、戦い方一つで大きく変わる」
情熱と冷静のほどよい融合――。そこを絶妙にコントロールできるのが井岡のはずだったが、七夕の夜ばかりは勝手が違ったということか。それとも達人にしか分からない微妙なズレがパフォーマンスに影響を与えたということだろうか……。
いずれにせよ、決戦の舞台は再び整えられた。第1戦のスコアは116-112、117-111、120-108。マルティネスがはっきりと勝利している。井岡にどれほど勝算はあるのだろうか。この件に関して本人は自信を持ってこう言い切った。
「僕が戦っていた感覚と、マルティネス選手が戦っていた感覚は、本当に紙一重だったと思います。向こうも余裕を持って『オレは大差で勝った』というマインドではなかったと思う。お互いのやりあった中での感覚は、ああいう大差が出るような試合ではなかったですよ」
井岡は「だからね。戦い方なんですよ。負ける相手じゃないと思いましたから」と続け、具体的な例を挙げた。
「たとえばマルティネス選手はガードが固い。それは彼の強さですけど、倒そうとするあまり、自分の攻撃も良くなかったんです。同じような攻撃ばかりしてしまった。空間も作らずに打ち込んで、自分で自分のパンチも殺してました。だから全然、相手に力が伝わっている感覚がなかった。そういうところは、気持ち一つ、戦い方一つで大きく変わります。次は前回とは違った面白さを見せられると思います」
井岡が大みそかのリングに上がるのは実に7年連続13度目となる。35歳のベテランは「ここまできたからには、世界チャンピオンというより、井岡一翔としてやり切るしかない。井岡一翔の人生を見せたい」と語った。七夕に始まったストーリーは、どのような形で大みそかに完結するのだろうか。