「自宅兼店舗」にいた人のリスク

【写真・画像】「あの言葉がなかったら死んでいた」東日本大震災から13年…住民100人の証言、生死を分けた“避難行動” 6枚目
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地震発生時にいた場所でグループ化

 調査対象者を地震発生時にいた場所でグループに分けると、ある共通点が見えてきた。津波が到達した時に住民がいた場所に注目すると、外出先にいた人の多くは自宅や職場などに戻っていて避難が遅れていた。一方、自宅や職場、小学校にいた人は、ほとんどが高台へ避難していた。

 さらに、自宅と店舗を兼ねた場所にいた人のリスクが浮かび上がってきた。自宅が文房具店だった嶺岸美紗子さん(35)は当時、父・健之さんと母・ひとみさん、祖母・美代子さんの3人と自宅にいた。

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嶺岸美紗子さん

 嶺岸さんは家族に避難を促したが、両親と祖母は散乱した商品の片付けなどに追われていた。自宅は高台のふもとにあったが、家族を待ってとどまり続けた嶺岸さん。地震発生から50分が過ぎたころ、自宅付近にあるスーパーの従業員が走って逃げる姿を見て、危機感が高まったという。「これは本当にやばいんだろうなと思って、両親とおばあさんに『本当にやばいから逃げる準備して』と、それぞれ準備をさせていた」。

 この時、津波はすでに堤防を乗り越え、迫っていた。嶺岸さんは、自宅ごと家族とともにのみ込まれた。意識を失いながらも、奇跡的に一命をとりとめた嶺岸さん。しかし、両親と祖母は帰らぬ人となった。「すぐ家の後ろが高いところ、階段を上がればすぐ助かるところだった。もっと早く避難していれば、助かった命だった。後悔は消えない、ずっと」。

 調査の結果、自宅と店舗を兼ねていた場所にいた人は、「商品の片付け」や「客の避難誘導」をしていたため、およそ7割が逃げ遅れていて、調査対象者の中で最も多かったことが明らかになった。

 避難行動の分析にあたった富士通研究所の牧野嶋文泰さんは、住民が逃げ遅れた背景にあるもう一つの要因を指摘する。「石巻市にチリ地震津波(1960年)の際に津波が襲来したが、それほど被害が大きくなかったという経験から、今回の津波のリスクを低く見積もってしまった方がいた。津波が来ても1階が浸かるくらいだから、最悪2階に逃げれば良いという声もあった」。

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