コミックソングのシンガー・ソングライター嘉門タツオ(65)。1990年代、当時の子どもたちがこぞって口にした「鼻から牛乳」や「アホが見る豚のケツ」といったコミックソングの生みの親だ。さらに、 自身の“替え唄ネタ”をまとめたシングル『替え唄メドレー』は82万枚セールスを記録。長年、“歌ネタの元祖”として愛され続けていた。
しかし、2023年1月、飲酒運転で事故を起こし1年2カ月の自粛。NO MAKEでは、活動を再開した嘉門に独占密着。そこで明かしたのは、事故を起こした当時の心境。さらに、14年に渡る闘病のすえ、この世を去った妻との思い出も。
最愛の妻の死と過去の過ち。再びギターを鳴らし、歌うことを決めた嘉門タツオの素顔に迫る。
自宅に残る最愛の妻との思い出
1975年、落語家を目指し、高校在学中に笑福亭鶴光に弟子入り。その後、破門され、桑田佳祐さんに『嘉門達夫』と命名され、音楽活動をスタートさせた。1991年に発売したシングル「替え唄メドレー」が大ヒット。歌ネタの第一人者として幅広い世代から支持された。
嘉門の自宅を訪ねると、壁には嘉門のCDジャケットがずらり。
――すごい色々飾ってありますね。
嘉門:そうです。ゆくゆくは嘉門達夫記念館を作るべく、今年になってから昔のC Dジャケットとか、ずっと棚に眠っていたやつをこうやって額装して、時系列とかに合わせて(並べています)。
――ご自身が亡くなった後、記念館になる準備…ということですか?
嘉門:そうそう。
――早いですね。
嘉門:10年、15年後ぐらいに記念館にできるぐらいの人物になってからこの世を去るという、それが一つの人生の目標なんですよね。
2匹の猫と暮らす自宅には嘉門の思い出のすべてがある。
嘉門:これは1970年の大阪万博の時に、パビリオンのバッジ集めが学校で流行って。僕が学校で3位だった時のパビリオンのバッジ。当時64種類で、学校で3位。これは、我々夫婦の写真。
――これは結婚した当時?
嘉門:15、6年前か。
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