■仕事も住居も見つからない日々
30日間の勾留と罰金50万円で釈放されたが、そこからは社会復帰への高い壁と、世間からの“社会的制裁”が、塚本さんを長く苦しめた。新たな一歩を踏み出すべく、再就職のためにハローワークに行くも、なかなか仕事が見つからない。「仕事を探すというのはマッチング。『今までどんな仕事を』という話になると、事件に結びついてしまう」。ハローワークには、罪を犯した人向けの担当窓口もあるが、自身が逮捕されたことを口にできない思いからか、その窓口には相談ができなかった。
東京に来てまだ1年あまり、外を歩けばすぐに誰かと分かるほどでもなかったが、それでも「薬物事犯として見られるという怖さもあって」、次第に外に出ることができなくなり、鬱状態にもなった。人間関係も、ゼロと言っていいほどになった。「もちろん残ってくれた人たちもいる。私の状況を知って心配してくれたり、ご飯に誘ってくれたり。だけど、なかなかそれ以上は…。慰めはしてくれるけれど、その先に進まない。そこを責めているわけでもなく『ああ、こんなものなのだ』とすごく感じた。何かをされて嬉しかったことは、あまり覚えていない。具体的な心配をしてくれる人も、意外に少なかった。それこそ『お金はどうしてるの?』とか。助けてほしいわけではないけれど、そこまで心配されると、その人は信用して心が開けたところはあった」。
追い打ちをかけたのが、逮捕から約1年後にあった報道だった。テレビのワイドショーで、塚本さんが今度は覚醒剤に手を出したというような内容が報じされ、それがネットニュースにもなり拡散した。「全くの事実無根」ではあったが、その頃の塚本さんにはもう、反論する力が残っていなかった。「当時は自分の存在自体を消したかった。ニュースへの反論にしても、それこそ名誉毀損になるようなものもあったが、裁判するとなると、それがまたニュースになる。もう騒がせちゃいけない、私が悪いんだと考えて、戦うことは全く考えていなかった」。
■依存症回復施設が社会復帰のきっかけに
