■通勤ラッシュを襲った毒ガス「サリン」

地下鉄サリン事件の現場
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 地下鉄サリン事件は、都心の通勤ラッシュが狙われ、複数の地下鉄路線で猛毒ガス・サリンがまかれた。吸い込めば神経に異常をきたし、数分で死に至るものだ。犯行に及んだオウム真理教は、教祖・麻原元死刑囚が、自らを救世主と称し、超能力や予言ができると吹聴。社会に不安や不満を持つ若者を入信させていた。1989年には、教団の危険性を訴えていた坂本堤弁護士とその一家を殺害。1990年には、麻原元死刑囚をはじめ教団幹部24人が「真理党」として衆議院選挙に立候補したが、全員が落選。この惨敗を受けて、教団はさらに暴力的な救済、無差別大量殺人の実行を宣言し、さらに武力化。1994年6月に死者8人、負傷者約600人を出した松本サリン事件、同年12月に会社員VX殺人事件、1995年2月に公証人役場事務長の逮捕監禁致死事件、そして同年3月の地下鉄サリン事件に至る。

 警察庁の刑事局長だった垣見さんは、松本サリン事件が起きたタイミングで、オウム真理教のサリン製造に疑いを持っていた。「オウム真理教の関係企業がサリンの原材料を大量に仕入れているんだという事実を知った時が一番ビックリしました」。さらに当時、山梨県上九一色村にあった教団の大規模な施設で異臭騒ぎが起きていた。周辺の土壌を調べたところ、サリン生成時に出る残渣物を検出した。そこで、オウム真理教の拠点施設の捜索と差し押さえをする「基本計画」を作成。この計画は、地下鉄サリン事件が起きる3週間ほど前、1995年2月末に決行される方針だった。

■垣見さんの苦悩とは
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