垣見さんは「一番ターゲットにしたのは、 山梨県上九一色村のサリン残渣物が周辺から出た施設。その辺は(空撮)写真を撮って、サリンを作っている工場ではないかというような目星もある程度つけていた」と振り返る。しかし警察庁長官を交えたトップたちの会議が行われた結果は、捜査がまだ煮詰まっておらず、拠点への捜索は「時期尚早」というもの。「オウム自体が閉鎖集団で中へ囲い込んで、あまり情報が外に漏れないようにしていたので、オウムの本当に実態というのがよく分からなかったというのが大きかった。非常に順調にいけば、地下鉄サリン事件が起きる前に(拠点を)捜索ができたということも考えられた」。
この時、捜索の決断をしていれば、結果は違っていたのではないか。垣見さんはここが分岐点だったと考えている。その後も慎重に捜査も重ね、オウム真理教の拠点を捜索する方針が固まった。しかし、その予定の2日前、事件は起こった。「あれだけの事件が起きて犠牲者がたくさん出ていますから、やっぱりそれはショックだった。反省せざるを得ないところがあった」。さらには「若干強引でも捜査等に踏み切っていれば、防げた可能性はあった」と、今も後悔の念が消えることはない。
■なぜ地下鉄サリン事件は止められなかったのか
