久子さんは「『大学生活どう?』と聞くと、『気持ち悪い人がいる』が第一声。まさか恐ろしい、怖いといった意味ではなく、『服装とかが気持ち悪い』って私が取ってしまった」と語る。陵子さんは友人に、「部屋の外に誰か立っている」と相談していたという。「(娘が)『アルバイトでもらったお金で留守電を買った』と言い、『それはいいわね』『お母さんも留守電入れられて』と、便利だということで喜んだが、実は無言電話がものすごく多かったようだ。娘は私たちに心配をかけまいとして言わなかったが、お友達には話していたようだ」。
事件発生の4カ月前に書かれた陵子さんの日記には「今日は警察に行ってきた。バイトは遅れたけど行ってよかった。少し落ち着いた気がする」と記されていた。「その時は、事件も何も、ことが起きてなかった。(警察は)『何かあったら来てください』の一言で終わった。『パトロールしてみるね』とか行動を起こしていただいたら違ったと思う」(久子さん)。
男は殺害後、大学の名簿を見て、陵子さんの実家周辺にも現れた。「りんご畑に来て、自殺を図って、近くの人に助けられて、自殺未遂に終わった。そして弘前大学に入院した。私も弘前大学に勤めていて、『ここに私の大切な娘を殺した犯人が入院している』『いまその犯人は命を助けられている』と思うと、とても複雑な気持ちだった」という。
男に下された判決は懲役14年で、2010年に出所した。陵子さんが被害にあった4年後の1999年には、埼玉県桶川市で元交際相手らによるストーカーの末に、女子大生が殺害される事件も起き、翌年ストーカー規制法が施行された。
後を絶たないストーカー殺人事件
