戦力外通告された当時の思い
2005年、大阪桐蔭高校の左腕として甲子園のマウンドに立ち、球速156kmを記録し注目の的となった辻󠄀内。
辻󠄀内「最初はめちゃめちゃ嬉しかったですね。スピードを出せばメディアや新聞に載れましたし、朝スポーツ新聞の一面を見るのがすごく楽しみで。でも、後半は『今日は何kmでしたか?』とか言われ続けるとイヤになるというか」
そして、この頃からボールを投げる左肩は悲鳴をあげていたという。
辻󠄀内「高校3年生からずっと肩が痛くて…投げないことが一番だったと思います。でもやっぱり高校生だから『やらないと後悔する』という気持ちもすごくありましたし、みんなで甲子園を掴みたかった。(今でも)投げて良かったと思っています」
2005年、読売ジャイアンツにドラフト1位で入団するも、痛みは増していた。
辻󠄀内「薬を飲みながらやっていたが、プロに入って痛みが肘にきてまず肘を手術した。そこから肘をかばいながら投げたが肩に痛みがきて。肩にきたら次は肘にくる。そのくり返しでまともに野球ができなかった」
肘には大きな手術の痕が残っている。
手術は成功したもののコンディションは上がらず、高校時代に156kmだった球速は120km台、中学球児ほどのスピードしか出なくなっていた。
球団から告げられたのは戦力外通告。一度も1軍のマウンドに上がることなくプロ野球人生は終わった。
辻󠄀内「最後、(球団から)球場に呼ばれて戦力外だと言われた時は、ホッとしたというか、本当に『もうこの痛みと戦わなくていいんだ』と思って。『もう野球ができないんだ』よりも先にホッとしたというか、何かスッキリした感はありました」
その後、秋田に移り住み今に至る。
(『ABEMA NEWS』より)

