7月の参院選で自民・公明両党は過半数を割った。去年10月の衆院選でも過半数を割っているため、自公は衆参ともに少数与党として、前代未聞の危うい政権運営を迫られる。
だが、自民党が“転落”したのはこれが初めてではない。ここでは、かつて自民党が政権を奪われた時代を、テレビ朝日政治部の千々岩森生官邸キャップと共に振り返る。
━━記憶にも新しい2009年、自民党政権から民主党政権になったが、なぜ自民党は負けたのか?
「要因はたくさんあるが、根本は『自民党政権への不信』だ。時代背景として、総理大臣がコロコロ変わっていた。小泉政権は01年〜06年までの長期安定政権だったが、その後、安倍総理、福田総理と1年ごとに変わった。やはり総理大臣がコロコロ変わると、自民党政権に対する世論の不信感は募る。そんな空気の中で誕生したのが麻生政権で、総理自身の問題を含めた政権運営への不満が生まれていった」
「もう一つ、2008年、麻生総理が誕生した頃にリーマンショックが起きた。もちろん経済がシュリンク(縮小)していけば国民の不満は出てくる。そもそも麻生総理は、総裁選に勝利して総理大臣になれば、すぐに解散総選挙に打って出ようと決めていた。総理の顔を変えて選挙に臨むパターンを狙っていたし、勝てばそのまま麻生政権が続いていたのは事実だ」
「しかし、リーマンショックとそれに伴う経済対策の策定に追われ、解散できずにズルズル進む羽目になった。支持率も低下していった。そして2009年秋の任期満了を前に、不満は頂点に達し、麻生総理は8月に解散総選挙に臨んだものの、世論の期待感を背にした民主党が政権を奪取する」
「閣僚の“不祥事”もあった。2009年2月、当時の中川昭一財務・金融担当大臣がG7の会議後の会見で、呂律が回らない状況になってしまい衝撃を与えた。これは揶揄するというよりも、“見るのも辛い”という感じだった。中川大臣は『風邪薬を飲んでいた』と釈明したが、『お酒が入っていたのでは』などと批判され、結局は辞任に至った」

