なぜ35議席しか獲得していない日本新党から総理大臣が出たのか?

1993年衆院選 主要政党の獲得議席数
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━━1993年にも自民党は政権を奪われている。自民党の宮沢元総理の時に内閣不信任決議が可決されたわけだが、なぜ否決されなかったのか?

「簡単に言うと、自民党の中から大量に造反が出たからだ。本来、自民党議員は宮沢総理に対する不信任案が出れば、反対して守るもの。しかし一部の議員が賛成に回ったため、不信任案は異例の可決となった。そして、その勢いで自民党を割って出たのが、小沢一郎議員を中心とするグループだった」

━━当時の自民党の敗因は?

「大きく4つある。1.89年の消費税導入、2.88年に発覚したリクルート事件、3.宇野元総理の女性問題。4.自民党の分裂。『消費税』が争点となっている点と、リクルート事件という『政治とカネ』が問題になったという意味では、今の自民党政権と似ている」

━━その後の1993年の衆議院選挙の結果、自民党が過半数を割り込み、8党派連立政権が樹立したわけだが、なぜ35議席しか獲得していない日本新党から総理大臣が出たのか?

「そもそも1955年にいわゆる55年体制が始まって以降、1993年までずっと自民党政権が続いていた。政治への飽きや不信感が募り、『とにかく自民党ではない政権を作ってほしい』という世論の期待感はすさまじかった」

「そんな世論の力強い支援の中、日本新党というできたばかりの新党から、細川護熙というスターが出てきたことで、そこに野党の“結集軸”が生まれた。日本新党は8党派のうち4番目の大きさだったが、より大きな議席を得ていた社会党や新生党は、ぐっと我慢して総理の座を渡した」

「細川代表は熊本県知事を務めていた。もともと熊本は細川藩だったため、“お殿様”と呼ばれ、そんな毛並みの良さなども当時はプラスに作用し、政権発足時は支持率が70%ほどにもなった。今は二世や政治家の家系出身者は、批判の対象にもなるが」

今後の政治はどうなる?
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