これからも黙秘を続ける可能性については、「可能性はあると思うが、この事案にはもう量刑と責任能力の2つしかない。責任能力が争えなくなったら、ひたすら謝り倒すしかない。そうなれば、ちゃんとした動機を語った上で、謝る必要がある。ただ動機があまりに乖離(かいり)しすぎた場合、逆に遺族を刺激する場合がある。夫に対する恨みや嫉妬が、妻に向かうのは、どう考えても精神構造に乖離がある。責任能力として『心神耗弱の不調』などにスポットを当てる可能性はある」と見通しつつ、「どこかの段階で、少なくとも公判では(動機が)出てくるのでは」と話した。

 夫への恨みが妻に向かうことが「乖離だ」とする理由として、「妻にいたずらしたり、不意打ちで殴り倒したり程度ならわかるが、これは確定殺意があり、犯行態様も非常に悪質だ。計画性があり、犯意は強固。そこまで向かうか、という点に乖離がある」と説明する。

 また、弁護人の戦略として「全てを洗いざらい話して、それが不合理であったとしても遺族に開示して、怒りが生まれれば、それはそれとして受け入れる戦略もある」とする。

 もし弁護側が動機を聞いていても、公表しないケースもあるのか。「今のタイミングではありうる。あまりにもバカにしたような乖離した動機では、遺族は怒る。ただ、それが責任能力に影響するような精神的におかしい状況であれば、怒っても納得できる部分はある。そこがまだ見えてきていないのではないか」。

 そして、「見えていない段階で、不用意な話が(報道などで)ぽろぽろと出てしまう。被疑者の記憶や考え方は、26年前から思っている以上に変わっている。人間の記憶は、自分に都合のいいように変わることもある。本人は記憶通りだと思っていても、客観的には違っていることもある。『対外的に出すには慎重にすべき』との判断はありうる」と語った。

(『ABEMA的ニュースショー』より)

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