■両国それぞれの立場から問題があるべきだった?
飯山氏は「2つの詩を出すのであれば、一方はガザ、もう一方はイスラエルの視点にすべき」と主張する。「日本メディアが、ほぼパレスチナ側の報道しか出さないのと同じだ。パレスチナの子ども視点で、大人による自宅の破壊や、周囲の人々が殺害されることを心情的に描いた詩もある。パレスチナ人もイスラエル人を大量に殺害し、誰の遺体かわからなくなっている」。
加えて、「感情を除外して、文章だけを読み取ればいい」といった論調には、「明らかに『ガザは一方的な被害者だ』とのスタンスを前提としていて、それは逃げだと感じる。イスラエルにも同じ悲劇があるが、このような出題では『一方が悪い』という像を描いてしまう。“反戦”の形を借りた、像の刷り込みは危険で、バランスが取れていない」と反論する。
当事者である受験生側の反応はどうか。伊藤氏によると、「灘中受験生の親は『よくやった。すばらしい問題だ』と称賛の嵐だ。『難関中学だからこそ切り込める』と、ポジティブに捉える向きが大きい。学校として扱いづらいテーマを、最難関校が初めて取り上げることが称賛ポイントになる」のだそうだ。
しかしながらEXIT・兼近大樹は、「この問題を読んでも、何に切り込んでいるかが理解できない」といい、Tehu氏も「灘の先生もそちらの気持ちだろう」と推測する。
Tehu氏は「ここでの議論は、大人の想像の話でしかない。『子どもをバカにしていいのか』という意見もあるが、その通りだと思う。ネット上では『灘校は左翼の学校だ』と言われているが、リベラルの先生も、保守の先生もいる。両方の話を聞いて、『こだわり持ってるな』『何言ってんだ』と思いながら育っていくため、情報を与えたからと言って、そこへ寄ることはない。数十年前の日教組のような形をイメージするのはオーバーだ」と考えている。
フリーアナウンサーの柴田阿弥は、「この詩は『戦時中に書かれた詩』であり、国や時代の背景が変わっても、問題として成立する」と話す。「『イデオロギーが教育に入りすぎるのはよくない』という気持ちはわかるが、作品には作者のイデオロギーが一定は入ってしまう。行きすぎると、どの問題も取り扱えなくなる」。
(『ABEMA Prime』より)

