事件発生から殺人罪の時効が廃止されるまでの約10年間を振り返る。「どの遺族もメディアスクラムということがあったが、うちは半年間誰も来なかった。次第に焦り始めて『どうしたらいいんだろう』と思ったときに、地元の民放の新人記者さんが来た。今でも26〜27年たっても、いまだに電話がかかってきて、『事件のビラまき終わった後の11月末か12月頭で忘年会しましょう』と言って、食事に付き合ってくれる記者さんだが、たまたま新入社員というか、こうした事件の遺族取材は初めてだと言っていた」。
加えて「半年ちっとも来てくれないので、他の遺族の取材を見ると、どうしてもメディアの人は泣くところをとらえる。泣くところだけを編集して流す。視聴者にとってはすごく感情を揺さぶられて、『かわいそうだから』という気にさせるかもしれないが、私は『そんなところを見せたら犯人喜ぶじゃないか』と。恨みがあって刺しにくるのに、泣いている姿を見せたら犯人を喜ばせるばっかりだと思った。うちは(子どもが)男の子だし、一緒にキャッチボールしたり、遊んでいるところを撮ってほしいといい、そこから私はそういう形でずっと取材を受けてきた」と語る。
「犯人の血痕が付いた女性の足跡」という事実については、「新聞報道から知る。警察からは一切聞いていない。ほとんどそうだ。逮捕後も『子育て論がどうのこうの』(の供述)も、メディアが書くから知るだけで、警察から説明はない」と明かす。
被害者遺族は、犯人が逃走中という理由などで顔の露出を控えることも多いが、高羽さんと息子の航平さんは、顔を出して取材を受けている。「私が思ったのは、男の子だったので、『顔隠して』といっても子どもが引っ付いてくるため、テレビに出ざるを得なかった。私だけが隔離して取材を受けても、子どもなんて5秒でも10秒でも間が空けば『遊ぼう』と言って、引っ付いてくる。そんなことなら一緒に、ということで。その方が事件の悲惨さが伝わるかなとも思った。たださすがに姉や妹から『航ちゃんの顔まで出すのはやり過ぎじゃないの』と怒られはしたが、それでも通り魔的だと思っていた。それがわざわざうちの家まで訪ねてきたということで、自分としてはそういう犯人ではないと思った」。
現場の家賃を払い続けてきたことについては、「みなさん『26年、2200万円も大変だ』と言うが、私としては1年1年やってきたことが、振り返ったら2200万円になっていただけ。大家さんとか不動産の仲介業者さんとかみんなが応援して『まだまだ部屋を持ってていいよ』と言ってくださったおかげ」とする。
「逮捕まで26年かかったのは私の責任ではない」
