声優・能登麻美子、ホスピスを志し命に向き合おうとした過去…セルフネグレクトや孤独が蝕む日本社会の今を見つめ「違う世界の話ではなく、地続きの場所にある」

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「死にたい」という本音の共有――10代の頃に抱いた“生の希薄さ”との重なり

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 番組内では、生きづらさを抱える人々が集う「死にたいバー」の模様や、生の実感を求めて夜の街で働く若者のログなど、生々しい孤独の姿が映し出される。能登の目には、その現実がどう映ったのだろうか。

「『死にたいバー』という言葉そのものは一見ポップに聞こえますが、その奥にある当事者たちの思いに触れたとき、心に突き刺さるものがありました。そこは、安易に『死にたい』と口にすると周囲に引かれてしまう日常の中で、近しい思いを持つ人たちが、本心に触れる部分を共有し合える場所。上部だけの繋がりではなく、痛みの根底を共有できる場所があるということは、1つの救いになり、生きる気力を取り戻すきっかけになっているのではと思いながら映像を見ていました」

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 そうした若者たちが抱える「生きている実感が希薄」という感覚に対し、能登は自身のバックボーンを重ね合わせる。かつて彼女は、高校時代に「命と向き合いたい」という思いから看護師を志し、ホスピスや小児科で働くことを目標にしていた時期があった。

「番組に出てくる、生きている価値を見出しにくい若者たちの姿を見たとき、かつての自分自身の記憶が呼び起こされました。私も10代の頃、どこか生きている実感が希薄に感じられる時期があったんです。当時、命の現場やホスピスのような場所で働きたいと考えていたのは、そうした環境に身を置くことで『生』をしっかりと感じられるのではないか、命と真剣に向き合えるのではないか、という思いがあったからでした。劇中に登場する、虐待を受けて『世界から浮いている』と感じている女の子の言葉も、決してわからない気持ちではありません。当事者の方々が抱えるものはもっと深いところにあるので、私が簡単に分かると言っていいのかは迷いますが、少なくとも彼らの苦しみは自分と全く違う世界の話ではなく、地続きの場所にあるのだということを、この番組を通して改めて教えられた気がします」

価値観がひっくり返った「無名塾」の衝撃――生身のエネルギーに触れ、見つめるということ
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