その後、TBSの「水曜劇場」枠で俳優業へと進出する。「(当時は)芝居なんかできませんから、賑やかしですよね。泉ピン子という名前さえ出ていれば、あいつが役者やっているからどんなものだろうって。その時、森(光子)さんに可愛がっていただいた。『キャンティ』『ざくろ』と高いところばかりずっとご馳走になって。だから森さんと知り合ったからお金残らないのね。『あなた儲かるようになったら若い人みんなにご馳走しなさいよ』『貯め込んじゃダメだ』って。それを真似したから…。赤木(春恵)さんを真似していればそうはならなかった」。
この精神は、その後の泉に深く根付いたという。「大阪で(横山)やすしさんが(島田)紳助さんに夜中の1時過ぎに飲ましているから、紳助さんに『タクシーでしょ?』と言って1万円渡したら、『え、どうやって返したらいいんでしょう…』と。『あなたが売れてね』と言った。そうしたら当時大阪で売れていたんですって(笑)でも若い人にそうやらないと帰れないじゃない。だからそういうお金は使ってきましたね」。
故・西田敏行さんらとともに過ごした極貧時代
