2017年6月20日、現役最年長で元名人、77歳の加藤一二三九段が竜王戦で高野智史四段に敗れ、引退が決まりました。中学生で棋士となってから62年10カ月、数々の記録や伝説を残しました。その日は加藤九段の最後の対局を見守ろうと、朝から報道各社が多数東京・将棋会館に詰めかけていましたが、対局終了後、加藤九段は「感想戦」を行わずに真っ直ぐに帰宅してしまいました。そもそも将棋の感想戦とはどのようなもので、何のために行われているのでしょうか。

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早くて10分、長くて3時間

 将棋は、どうやっても勝ち筋がないと悟った側が、「負けました」と降参の意志を相手に伝えて終わります。これを投了と言います。投了後に「ありがとうございました」と一礼した後、お互いに対局を振り返って感想を述べ合うことを感想戦と言います。感想戦は敗者側が「あの時ああすべきでしたね」と反省点を述べながら口火を切るパターンと、勝者側が「この時こうされていたら負けでした」と相手側を気遣い始める場合と、両方のケースがあります。勝負の余韻が冷めやらず、お互い長く沈黙した後やっと始まることも多々あります。

 プロ棋士は指し手が全て頭の中に入っているので、ポイントとなる局面までスラスラと戻し、駒を動かしながら振り返ります。時間は平均して1時間ぐらい。複雑な変化手順を検討したり、なかなか納得がいく結論が出なかったりした場合は、2~3時間になることもあります。しかし感想戦は義務ではありません。あくまで将棋指しにとって慣習となっている儀式です。では、何のために感想戦を行うのでしょうか。

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(写真 2005年A級順位戦最終局佐藤康光九段ー藤井猛九段の感想戦。深夜3時、駒はぐちゃぐちゃのまま口頭で感想戦が続いていた。)

頭と心を癒やす時間

 対局者は基本的に、自分の考えは対局中に明かさず、指し手のみで盤上の対話をしていきます。そのため感想戦で初めて本心が明かされることも多く、観戦記者にとって感想戦を取材することは大事な仕事です。対局者にとっても、盤上では知り得なかった情報を得て、次の対局へ活かす機会でもあります。棋力向上のためには、局後の反省と検討は欠かせません。

 しかしそれよりも大きいのは、気持ちの整理をつけるための時間であることです。対局でヒートアップした頭と心を、指し手を戻しながらゆっくりと鎮めていきます。悔しい気持ちが溢れていても、相手との会話の中で冷静になることができます。

 テレビやインターネットの配信でプロ棋士の対局を見た人は、終局直後お互いに神妙な表情をしているため、どちらが勝ったかわからないと感じたことはないでしょうか。スポーツのように勝者がガッツポーズをすることもありません。どちらかと言えば勝者が敗者に気遣い、一緒に敗因を探して「本来こうすればよかったですね」という勝ち筋を探します。そうすることによって敗者側も気持ちが救われ、前向きに帰路につくことができます。

感想戦は礼節・癒やし・棋理の探求など様々な面があります。戦った者同士が一緒に振り返り、互いを称え合う姿は、まさに日本的な奥ゆかしさのある、将棋にとって大事な文化なのです。

家に帰るまでが感想戦!?

 プロ棋士の中には、これからも続く戦いのために、感想戦で本当に重要な部分は明かさない、という人も中にはいます。またあくまで終了直後の検討のため、必ずしも真理が導き出されるわけではありません。感想戦では出てこなかった手が、後日新聞の観戦記に発表されることもあります。

 感想戦やその後のことまで含めドキュメントです。感想戦なし、というのも1つのメッセージで、それだけの思いが対局に込められていたと受け止め、記者は観戦記に反映します。加藤九段が感想戦を行わないことはしばしばあり、ファンも「最後まで加藤九段らしい」と伝説を残して去ったことに関して感想を語り合いました。テレビでは“ひふみん”の愛称で親しまれている加藤九段も、歩んできたのはまぎれもなく厳しい勝負の世界です。その重さを、改めて知る機会になりました。

アマチュアでもネットでも

 感想戦はプロ棋士だけの慣習でしょうか。いいえそうではありません。実は、将棋に多少なりとも慣れてくると、誰でも行っています。子ども大会では、頭を下げた後すぐに「次の対局!」とばかりに席を立つ姿が見られます。元気で微笑ましいですが、上級者や有段者ともなると「この手が厳しかったですね」などと大人顔負けの感想を言ってくれるようになります。

 最近ではインターネットを使って対局する人も増えています。感想戦もチャットウィンドウで行われ、局面を戻したり、変化手順を検討できたりするサイトがあります。外国人初の女流棋士となったカロリーナ・ステチェンスカ女流2級が、指導者のいないポーランドで棋力向上できたのも、チャット感想戦のおかげとも言えるでしょう。

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 指し手を覚えて振り返るなんて無理!と思われる方も多いでしょう。ですが、必ずしも駒を動かす必要はありません。こんなところが良かった、楽しかった、困ったなどと、言葉で表現するのも立派な感想戦です。

 「お強いですね」とニッコリ相手に伝えるだけでもOK。ひとこと言葉を交わすことによって、対戦した者同士の絆が生まれるのを感じることでしょう。気持ちよく対局を終える意味でも、感想戦は全ての人にオススメです。まだ経験したことない方も、これを機にいかがですか? 【藤田麻衣子】

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