■「死の尊厳」に対する敬意を抱いた
「当時のお金で3000円の手当が出ました。ただ、みんなほとんど会話せず、黙々と食べていましたね。官舎に帰って女房に『おい、塩もってこい』と言い、体に塩を振りかけて家に上がったのを記憶しています。女房は『あんた何かあったん?』と聞きましたけどね、私は何も答えませんでした。それ以後、このことに関しては一言も喋ったことはありませんし、質問も受けたこともありません。それはどういう理由かというと、いわゆる"死の尊厳"に対する敬意だと思います。軽々に喋ったりできない、"無言の教え"があったと記憶しています。他の刑務官たちともそういうことは一切話しませんでしたし、『あの時大変だったな』というような思い出話も一切出ませんでした」。

藤田氏によると、かつては執行を前日に言い渡していた時代もあるという。
「執行を前日に言い渡し、親族にお別れをしていた時代もありました。追い詰められて自ら命を絶つ恐れもありますので、翌朝まで独居房の前で刑務官が監視していました。でも、死刑囚と将棋を指しながら、刑務官は何も会話ができない。『お前、元気にやれよ』と言うんですか?『そろそろ寝ろよ』と言うんですか?あと余命が何時間で、寝てしまったら生きてる実感がないじゃないですか。死刑囚は眠れないですよね。職員も声のかけようがない、たまらない状況なんですよ。そういうことで即日執行に変わっていきました」。
刑務官の職務とはいえ、誰にも共有すること無く背負っていかなければならない厳しい体験。苦しみや孤独に苛まれたことはないのだろうか。
「壮絶な場面を見たので、苦しいというよりも、後から気がついたのはやはり死の尊厳への敬意です。その人の性格にもよると思いますが。私には苦しみということは無かったと思います。もちろん、トラウマになる刑務官もいると思います。それは否定しません。もう何十年も経ちましたが、私もその場面を全て鮮明に覚えていますし、嫌だったなというのは確かに残っています」。
■死を持って償うのが死刑ですから、反省は求めません
