■死刑囚は『お世話になりました!』と泣いていました
藤田氏によると、当時の大阪拘置所での執行までの流れはこのようになる。
「まず屈強な職員が選抜され、監督者と合せた5名くらいで死刑囚が生活している独居房に迎えに行きます。ドアを開けて『おい、出てこい』だけです。『なんですか?』『いいから、出てこい』と連れ出します。執行するとは言いません。いつも独居房を出るときは右側の中央廊下に行くんですが、死刑執行のときは左折して西側廊下に向かいます。そして執行を言い渡す所長が待つ2回の調べ室に向かいます。そこで所長が『お別れの時が来ました。今から死刑を執行します』という主旨のことを言い渡し、『連行!』という命令で刑場へと向かいます。刑場は建物の一番端にあり、廊下には万が一に備えて5メートルおきに職員が立ちっています」。
藤田氏が執行した死刑囚はもう高齢だったので、素直に連行に応じたという。しかし刑場の直前、で藤田氏は死刑囚の涙を見た。

「(刑場に向かう廊下では)1分1秒でも生きながらえたいという人間的本能で、世話になった職員、顔見知りの職員を見つけると走り寄っていって『先生お世話になりました』とひとりひとりに挨拶していくわけです。ところが職員はどう答えていいのかわからないんです。『元気にやれよ』とは言えません。『しっかりやれよ』とも言えません。泣きながら手を取られると、職員も辛いんです。返す言葉がないんです。だから『前へ進め!』と促して進んでいきます。私が執行した時も、『○○部長さん、お世話になりました!』と泣いていました。私は刑場の前で待機していましたが、いたたまれず、ボタンを押すのが自分だと知られるのも嫌で、逃げるようにして部屋に入ったと記憶しています」。
刑場の中は、ごく普通の会議室のような雰囲気だったという。一番奥には祭壇があり、教誨師と"最後のおつとめ"を行う。祭壇は仏教、キリスト教と、本人の信仰に合わせて切り替えられるようになっている。しかし、刑場の方を向いてロープが見えると動揺してしまうため、執行直前まで蛇腹のカーテンのようなもので死刑囚からは見えないようにされていたという。

「蛇腹を開けて、1メートル四方の踏み板まで連行し、後ろ手にして手錠をかけ、足も手錠かひもで縛り、目隠しをして、ロープを首に掛けます。それで準備は完了します。そして指揮官が『最後に言い残すことはないか』と確認します。死刑囚によって違いますが、『課長、オレはびびってませんで!目隠しなんかいりませんわ』という者もいれば、震えて声にならない者もいます」。
「死刑囚が最後の言葉を話し終わったのを確認してから。これが大事なんです」
