衆院選が公示を迎え、各党は選挙モードに突入した。AbemaTV『AbemaPrime』では、注目すべき過去の衆院総選挙を当事者とともに振り返る(連続5回)。1回目は、戦後長らく日本の政治体制だった、いわゆる「55年体制」が崩壊し、自民党が結党以来、初めて野に下った1993年の総選挙に焦点を当てる。
目次
- ■今の政界の"顔"たちがこの時に立候補、初当選を決めている
- ■宇野常寛氏「建前で"民主主義ごっご"をやっていただけだった」
- ■平野貞夫氏「小沢さんも政権交代の仕組みができれば若い人に任せたいと思っている」
■今の政界の"顔"たちがこの時に立候補、初当選を決めている
総選挙の際に結成された複数の政党が躍進し、自民党が下野したこの選挙には、希望の党の小池百合子代表や民進党の前原誠司代表、そして野田佳彦前首相らが「日本新党」から立候補し初当選。他にも、自民党の安倍晋三総裁や岸田文雄政調会長、共産党の志位和夫委員長、立憲民主党の枝野幸男代表など、今の政界の"顔"たちがこの時に立候補、初当選を決めているのだ。
今から24年前、日本は皇太子さまと雅子さまのご成婚に湧いていた。すでにバブルは崩壊していたが、過ぎ去った好景気の残り香にまだ酔っていた時代だった。そんな中、永田町を不正献金疑惑が直撃する。自民党副総裁にして最大派閥のトップだった金丸信氏が、佐川急便から5億円にも上るヤミ献金を受け取ったして略式起訴された。議員の職にとどまろうとしていた金丸氏だったが、"金権政治"への批判の声は党内でも高まり、政界引退に追い込まれることになった。1976年のロッキード事件、1988年のリクルート事件など、"政治とカネ"をめぐる問題が相次いでいた自民党に有権者からの不信感が募り、政治資金規正や、選挙区制度の見直しなど、"政治改革"が叫ばれた。
時の総理大臣・宮澤喜一氏は政治改革の断行を掲げたものの、自民党内で金丸氏の後継者争いが激化、派閥内でも政治改革をめぐって推進派と慎重派が対立し、党内の意見をまとめることができず、結果として次の国会への先送りを決断することになる。
こうして政治改革が行き詰まりを見せる中、一人の男が動き始めた。当時は自民党の衆議院議員だった小沢一郎氏だ。歴代最年少で自民党の幹事長を務め、"剛腕"の異名をとる小沢氏は、政治とカネの問題や選挙制度の見直しなどを強く訴え、「改革推進派」の代表格と目されていた。
そして迎えた1993年6月18日、野党が宮澤内閣の不信任案を提出した。自民党議員たちが不信任案に「反対」を意味する青札を次々と投じる中、小沢氏が手に持っていたのは、なんと不信任案に「賛成」する白札だった。この史上まれにみる造反劇により、不信任案は可決、宮澤内閣は衆議院を解散、1955年の自民党結党以来、38年にわたって続いた「55年体制」が大きく揺らぎ始めることになる。
その波はとどまることを知らず、鳩山由紀夫氏ら若手議員10人が自民党を離党した。武村正義氏は「新党さきがけ」を結成。その2日後、羽田孜氏が小沢氏と共に「新生党」を結成した。解散からわずか5日という、かつてないスピードで2つの新党が誕生、同じく自民党から離党した細川護煕氏が立ち上げた「日本新党」もあわせ、「反自民」を明確に打ち出した"新党ブーム"が巻き起こったのだ。
衆議院の解散を受けた1993年7月4日、熾烈な選挙戦が始まった。自民党政権の維持か、新党連立による非自民政権の誕生か、選挙の行方に日本中の注目が集まった。結果、小沢氏が中心となって結成した新生党は55議席を獲得、自民党、日本社会党に次ぐ第三党になり、日本新党や新党さきがけなど8党会派で連立を組むことで第一勢力に躍り出た。そして、全ての閣僚が非自民党議員である細川連立内閣が発足した。発足時の支持率は76.8%と、当時の歴代最高をたたき出した。
「明らかにひとつの時代が終わって、幕を下ろして、ひとつの新しい時代が始まったという実感がする。一つの、一枚のページということではなく、一つのチャプターというか、一つの章がめくられた。そういう実感が強くしている」。
就任時に笑顔でそう語った細川氏。彼らの躍進の背景には、またしても小沢氏の存在があった。実は、小沢氏は極秘で細川氏に接触、単刀直入に「細川さん、あなたに総理になってほしい」と話し、細川氏もこの説得を受け入れ、決意を固めたといわれている。
■宇野常寛氏「建前で"民主主義ごっご"をやっていただけだった」
38年間の長きにわたって政権交代なしに自民党と社会党が共存するという構図が続いていた理由について、テレビ朝日政治部の有馬央記デスクは「世界の冷戦構造を背景に、日本にも自民党と社会党があった。悪く言えば与野党の談合政治でもあったが、これがなんとなく社会の安定を生み出していた。もう一つは、政権交代しにくい特徴を持つ中選挙区制が、この構図を固定化させていた要因だった」と話す。
"小沢一郎の知恵袋"とも呼ばれた平野貞夫・元参議院議員は「野党が政権を取らない代わりに国会を"労使交渉"の場にした。自民党が資本家で、社会党以下、野党は労働組合という構図だ。自民党が野党におカネを渡して、国会では揉めても、裏で円満にいくということになっていた。私も、社会党の先生方にお金を持っていくのが仕事の一つだった。また、当時の自民党は保守本流で、大変立派だった。みんなが一緒に豊かに全国隅々まで発展しようというのが考えがあったこともあり、安定していた」と振り返る。
ジャーナリストの有本香氏も「中選挙区制では、選挙に億単位のお金がかかっていた。また、社会全体も、別に二大政党制を目指さなきゃいけないって感覚もなかった。国会審議も、最初の案に対して野党がいろんなことを言って修正され、落とし所を見つけたり、場合によっては骨抜きになったりする、まさに労使交渉的なものだった。ただ、それは悪いことばかりではない。なんとなく色んな意見が加味されて、最後には何となく落とし所を見つけるという、日本的なやり方だった」と話す。
評論家の宇野常寛氏は「西側諸国、先進国という手前、建前で"民主主義ごっご"をやっていただけ。野党には政権を担う能力もそのつもりもない。形でやっていただけだった」と、より直接的な表現で批判した。
しかし、55年体制が崩壊した要因となったのは、こうした金権政治に対する批判の高まりだった。平野氏は「ダグラス・グラマン事件までは、自民党の金権問題だった。ところがリクルート問題では、社会党も公明党も民社党も絡んできた。だから与野党こぞって国民から金権政治の批判を受けた」と振り返った。
■平野貞夫氏「小沢さんも政権交代の仕組みができれば若い人に任せたいと思っている」
金丸氏が佐川急便事件で議員辞職し、後継争いが激化した自民党最大派閥「経世会」が分裂、小沢氏や羽田氏らが離脱、さらに離党に至る背景について平野氏は「内閣で政治改革をやるべきだという人達と、政治改革をやられては困るという人たちの対立があった。カネの問題や政治改革に積極的だった竹下氏が、後に消極的になり、逆に足を引っ張りだした。そこが経世会の矛盾になった。 同時に、冷戦が終わり、経営者、労働者、学者、マスコミ、そのいずれもが、野党にも責任を持たせ、政権が取れるという構造に変えなければならないという声が高まった」と話す。
さらに、宮澤氏の政治改革が頓挫した経緯については「小沢さんも、本当は宮澤さんのことが好きで、宮澤さんを海部さんの後継にしたのは小沢さん。しかし、宮澤さんはイギリスの議会政治をモデルにしたオーソドックスなものの考え方、保守本流として、権力の過度の使い方はしなかった。自民党の中で政治改革やってもらおうと思って一生懸命やったが、しかし執行部がゆるさなかった。その執行部は社会党左派と呼ばれる人とつながっていたので、後にそれが自社さ政権につながっていく」と説明した。
「宮澤内閣の不信任案可決の後、小沢さんと羽田さんと、どうしようかと話し合った。二人とも自民党を愛していたから、本当は出たくなかった。執行部に責任があるから、幹事長以下を規律委員会にかけようとしていたところ、新党さきがけができた。これで、自民党に残るわけにはいけないという話になった」。
結果として、細川連立政権は短命に終わり、その後も内閣はめまぐるしく交代し、野党は離合集散を繰り返した。
今の政治状況も踏まえ、平野氏は「それぞれに志があれば、新党ブームは悪いことではない。短い時間で失敗する、不調になる原因は、他所からの力ではなく、常に内部分裂。新党を作った人たちの思惑、わがまま、勉強不足にあると思う」と話す。
あれから24年。今回、総選挙の直前になって民進党が分裂、野党4党による共闘の枠組みも大きな変更を迫られた。この背景にも、今は自由党の代表を務める小沢氏の存在があるとの見方もある。これについて平野氏は「小沢氏自身は、民進党が割れたことに大変困惑しているし、小池氏が知事になった時、自民党側で政治をやるのか、自民党と離れた形で政治をやるのかを非常に気にしていた。本当に小池氏が反自民として安倍政権に対峙してやるというなら、政権交代の一つの要因になりうるということは考えていたようだ。ただ、小沢さんも政権交代の仕組みができれば若い人に任せたいと思っている。いつまでも小沢さんをフィクサーにするのは良くない」と説明した。
有本氏は「日本新党ですら、水面下で1年くらいの準備期間が経て立ち上げられた言われている。さらにあの時は財界も新党を推した。政策、理念、資金面から、自民党に対する対抗軸を作ってきた。それでもあんなに短い間で終わってしまう。私も自民党だけが強いという状況を決して望んでないし、政権交代可能な野党勢力を作るべきだと思っている。しかし、あまりにも急ごしらえなものが多い」と指摘した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
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