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 小池代表率いる希望の党が衆院選で目指す政権交代。「政権交代」と言えば、2009年に自民党が惨敗し民主党が政権交代を実現した衆議院選挙、そして再び自民党が政権の座に返り咲いた2012年の衆院選が思い起こされる。AbemaTV『AbemaPrime』が注目すべき過去の衆院総選挙を振り返るシリーズの第4回は、ユーキャン新語・流行語大賞に「政権交代」が選ばれた2009年の総選挙、そして民主党政権の功罪を検証する。

目次

  • ■閣僚の失態、自身の病に泣いた安倍政権、"大連立構想"に失敗した福田政権
  • ■リーマンショックで解散の時期を逸した麻生政権
  • ■"理想のマニフェスト"、小沢ガールズで民主党が大勝
  • ■「脱官僚」「最低でも県外」が次々と挫折…
  • ■そして、自民党政権へ

■閣僚の失態、自身の病に泣いた安倍政権、"大連立構想"に失敗した福田政権

 国民が舵取りを任せることになった民主党が勢いづいたのは、3年前の2006年だ。この年、代表選でトップに就任したのが、"豪腕"小沢一郎氏。代表代行の菅直人氏、幹事長の鳩山由紀夫氏と共に、挙党一致のトロイカ体制を構築した。

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 一方、支持率70%とロケットスタートを切った第一次安倍政権だったが、郵政造反組の復党問題を小泉政権から"負の遺産"として受け継ぎ、さらに「産む機械」発言の柳沢厚生労働大臣、事務所費問題の赤城農水大臣など、大臣の失言・不祥事が相次いだ。年金記録管理も問題となり、"ミスター年金"こと民主党の長妻昭氏が国会で鋭く詰め寄る場面も話題になった。結果、総理就任から1年後、2007年7月の参院選直前に内閣支持率は30%台に下落、不支持が支持を上回ることになった。

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 迎えた参院選では民主党が60議席を獲得し大躍進、第一党に躍り出た。惨敗した自民党は、1955年の結党以来、初めて参議院第一党の座から陥落することになる。こうして引き起こされた、参議院=民主党、衆議院=自民党という、いわゆる「ねじれ国会」の状況が、その後の政治の停滞を引き起こすことになる。安倍総理が体調不良を理由に突然辞任、総理の座を急遽引き継ぐことになった福田康夫氏も、この「ねじれ国会」によって、政権運営の行き詰まりに直面する。

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 その時、あの人物が動き始める。民主党代表の小沢一郎氏だ。自民党と連立を組むいわゆる"大連立"を構想、福田総理と会談を行った。2度にわたって行われた会談で、福田氏は小沢氏の要求を飲み、ほぼ合意に至ったものとみられていた。しかし、民主党内からの反対の声により、構想は頓挫することになる。

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 自民党にとっても大連立は政権運営をスムーズに進められるというメリットがあった大連立構想だが、勢いに乗る民主党でも一気に政権交代を進めるのは困難と判断した小沢氏が、大連立をステップに政権交代の実現を画策していたとみられている。大きな魚を逃した福田内閣は「洞爺湖サミット」を開催するなどしたが、信頼回復には至らなかった。

■リーマンショックで解散の時期を逸した麻生政権

 次に内閣を引き継いだのが麻生太郎氏だ。しかし麻生氏も、国民感覚とのずれや「未曾有(みぞう)」を"みぞうゆう"と発言するなど、度重なる漢字の読み間違いがクローズアップされ、内閣支持率は低迷。そんな時、リーマンショックが引き金となり世界経済は100年に一度と言われる危機を迎えた。日経平均株価は7000円台まで下落、日本を閉塞感が覆った。有効な景気対策も打ち出せないまま、自民党内で「麻生おろし」の動きが出始める。しかし、ここで一気に自民党を追い落としたい民主党にも激震が走る。不正献金疑惑で小沢代表の秘書が逮捕されたのだ。政権交代を実現するために身を引くとして、小沢氏は選挙担当の代表代行に退いた。

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 新たに代表に就任した鳩山由紀夫氏の下、総選挙の前哨戦とも言われる都議会議員選挙へ臨んだ民主党。有権者からの期待は自民党の想像を越えていた。改選前の34議席から54議席を獲得する大躍進を見せ、都議会第一党となる。そのフィーバーぶりに、石原慎太郎都知事も「(告示の)2日前に公認された候補が通ったり、2週間前から(選挙を)始めた候補が自民党のエース中のエースを破るという現象は異常だ。東京にとっては大迷惑な結果だ。今の政府が自ら作った人心の離反のツケを東京が払わされた」と困惑するほどだった。

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 都議選の翌日、鳩山代表は麻生総理に「(衆院を)解散して国民に信を問う、これが求められる総理のとるべき唯一の行動だ。常識的に考えれば、麻生総理の手で解散をすべきだと申し上げたい」と解散を迫った。その夜、事態は動き始める。麻生総理は会見で「早々に衆議院を解散し8月30日に総選挙を実施する。その旨を今日与党幹部に伝えた。ここで国民の信を問いたい。国民に問うのはどの党がみなさんの生活を守り、日本を守るのか、これが争点だ」と語った。

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 当時、自民党を担当していたテレビ朝日政治部の足立直紀デスクは「麻生政権は誕生した時からすぐに解散し、総選挙することが求められていた。麻生総理はアキバを中心に人気だったし、すぐに解散をしていれば大ケガはしなくて済んだのかもしれない。ただ、麻生氏としては、史上最短命の総理になってしまうのは避けたかった。そうこうしている内にリーマンショックが起き、経済を立て直さなくてはいけないし、国際会議では海外の首脳に"解散打っている場合じゃないだろう。ちゃんと国内の経済を立て直してくれ"と要請される。解散ができないまま、ほぼ任期満了に近い形になってしまった」と話す。

■"理想のマニフェスト"、小沢ガールズで民主党が大勝

 ついに2009年7月21日、衆議院が解散する。民主党はいち早くマニフェストを発表、実行までの工程表(スケジュール)も明記した。「政権交代 国民の生活が第一」というキャッチコピー、そして「コンクリートから人へ」というスローガンを謳い、税金の無駄遣いの削減、子ども手当や公立高校の無償化、地域主権などを掲げた。また、官僚の天下りにくさびを打つ脱官僚・政治主導も盛り込んだ。

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 結果、自民党への不信も追い風に、民主党は308議席を獲得、現憲法下では過去最大の占有率で圧勝することになる。自民党は久間章生氏、海部俊樹氏、中川昭一氏など数多くのベテラン議席が落選し、公示前の300議席から119議席へと激減した。

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 「自民党議員を取材していて、どんどん風当たりが強くなっていくのを感じた」(足立デスク)、「溜まっていた自民党への不満は、お灸をすえるとか、そういうレベルではなかった。小選挙区は自民党でも、比例は民主党という有権者もいた。民主党政権にかけてみようという思いが国民の中にあり、それが大旋風が巻き起こした」(政治ジャーナリストの細川珠生氏)。

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 その民主党の候補者選びを担当したのが、小沢氏だった。自民党の大物議員の選挙区に擁立された女性の新人候補たちは、"小沢ガールズ"と呼ばれた。民主党の大勝について細川氏は「小沢氏の力がものすごく大きかっ。自民党の支持母体を崩さない限り、民主党があれだけ議席を取るというのは無理だった。旧来から自民党を応援している団体をしらみつぶしに崩していくという意味で、すごい力を持ってやっていたと思う」と振り返った。

 
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■「脱官僚」「最低でも県外」が次々と挫折…

 しかし、圧倒的支持を受けてスタートした民主党政権は、様々な課題に直面することになる。

 マニフェストに掲げた目玉の一つ、群馬・八ッ場ダムの建設中止。「コンクリートから人へ」の理念に基づき、前原国土交通大臣のもとで一度は中止を決めたものの、ダムの重要性と周辺地域の知事らの要望を考慮し、建設再開を決定。しかし、民主党内からは「どんなに損をしてでもマニフェストを守るべきだ」と猛反発が起き、離党する議員も出た。

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 総理に就任した鳩山氏が政権交代前から「最低でも県外」と意気込んでいた沖縄の普天間基地移設をめぐる問題も迷走した。当初、鳩山氏は「辺野古以外に腹案がある」と話し、日米間で国内外の様々な場所が検討されたとされるが、結果は辺野古移設案に逆戻りしてしまった。

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 「鳩山さんの中には、『常時駐留なき安保』という考えがあった。日本はアメリカとの同盟関係によって日本の防衛が保たれている。それゆえにアメリカとの対等な関係があるのかどうか、独立国であるならば自分の国は自分で守りましょうという保守的な思想だ。だから、沖縄に過度な負担を強いている米軍基地を移転させることを考えていたと思う。しかし、政権を取る前からアメリカとよく話をして、下地を作っておくべきだった」(細川氏)

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 総選挙にあたり、財源については「国の一般会計・特別会計を合わせた歳出を厳密にチェックして、仕組みを変えることによって財源を生み出したい」(直嶋正行・民主党政調会長が)と説明していた民主党だが、自民党からの徹底批判を受けていた。「大事なところは景気最優先だということ。民主党のマニフェストのどこに経済成長が書いてあります?経済成長なくして、高速道路はタダにします、子ども手当はタダにしますって聞こえはいいが、そのカネはどこから持ってくるのか、これが一番問題」(麻生氏)。

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 民主党は、新たな財源として八ッ場ダム、川辺川ダムの建設中止、補助金改革などで9兆1千億円のムダをなくし、税金などをため込んだ「埋蔵金」4.3兆円を活用すると主張。そこで登場したのが、蓮舫氏の厳しい追及で注目を集めた、あの「事業仕分け」だった。「仕分け人」が一般公開の場で事業担当者と議論し、必要かどうかを判断するというものだった。

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 「行政は一度始めると事業をなかなかやめない。国家予算が膨らむ中、一度立ち止まって評価を行うこと自体は悪くない。ただ、なんでも公開すればいいというわけではなく、丁寧なコミュニケーションの中で物事は進んでいこともある」(細川氏)、「派手にやっていたが、予算ベースでみるとほとんど減っていない。公共事業はある程度減ったが、その結果、建設業界で人手不足が出て来るなど、後々弊害も出てきた」(足立氏)。

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 さらに、自民党政治に対抗するためにも政治家が政策や官僚をリードしなければ国民の不満を払拭できないと考えた民主党政権は、「政治主導」「脱官僚」を掲げ、政務三役と呼ばれる大臣、副大臣、政務官が物事を決めていき、それを官僚がサポートするような仕組みを目指した、しかし、事務次官会議の廃止など、脱官僚を過度に言いすぎたがために、霞が関にそっぽを向いてしまったところがあったと細川氏は指摘する。

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 「官僚をやる気にさせられなかったというところにも原因があったのではないか。官僚の知恵や知識を使いこなす力が必要だったしかし、組織に揉まれる経験や地方議員の経験もなく、お父様の秘書をやって政治家になったということも多かったので、人をどう使うかという点では難しさがあった」(細川氏)。「政治主導、やれるもんならやってみろと、非協力的な態度をとった役所もかなりあった」(足立氏)。

■そして、自民党政権へ

 この他、地方を活性化と共に流通コストの削減を図るとして取り組んだ「高速道路無料化」など、様々な政策を打ち出した民主党政権だが、マニフェストに掲げられた政権交代の象徴は次々に挫折していくことになる。

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 そして、民主党政権にとどめをさす形となったのが、2011年3月11日に起きた東日本大震災だ。すでに鳩山総理は退しており、菅直人総理が震災翌日に福島第一原発を自ら視察し、現場に混乱をきたしたとの批判を浴びた。

 政権交代後、3年3か月の間に総理大臣が2度変わるなど、迷走し終焉を迎えることとなった民主党政権。足立氏は「我々有権者からすれば実現可能性を含めて公約をしっかり読み込まなければいけない。風に流されすぎてはいけないということも教訓に残ったはず」と話す。期待をかけた国民の失望は、自民党への政権交代をもたらすことになる。(『ABEMA Prime』より)

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