「今回の死刑執行で"ケリがついた"として問題が忘れ去られていくなら、似たような事件は必ず繰り返される」。

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 7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚と6人の元教団幹部の死刑が執行され、日本中に驚きが拡がった。

 しかし坂本弁護士一家殺害事件からは29年、地下鉄サリン事件も発生から既に23年が経過、オウムを知らない若い世代も増えてきている。そこでAbemaTV『AbemaPrime』では、先月発足した「オウム事件真相究明の会」の呼びかけ人でもある社会学者の宮台真司氏と一連の事件を振り返り、今後の教訓を探った。(2018年7月放送)

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■「居場所がない」と感じた若者たちの受け皿に

 1987年、ヨガスクールを前身とする「オウム真理教」を立ち上げた松本死刑囚。"ヒマラヤで修業し解脱"したと称し、空中浮遊などの超能力をアピール、"カネさえあれば"というバブル景気の風潮の中で若者を中心に出家信者を増やしていく。神秘体験に興味を抱いた高学歴のエリートたちを含む若者たちは、松本死刑囚による終末思想や救済思想、そして非日常的空間での厳しい修業にのめりこんでいくことになる。

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 「彼らは僕と同世代。人も社会も輝きに向かって上昇する高度経済成長期に成長した。それが大学に入る頃、あるいは社会に出る頃、そういう時代が終わっていることに気がついた。日本は1973年から低成長時代に入ったし、続く80年代は"お祭り騒ぎ"のバブル時代。そんな社会に自分の居場所がないと感じる人間はたくさんいた。そこでオルタナティブな世界を作るオウム真理教が見出された」(宮台氏)。

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 やがて教団は組織強化・拡大のため、"救済"の名の下に暴力をも肯定するようになる。土地取得をめぐるトラブルや、脱会信者の強引な連れ戻しも表面化。1989年2月に教団に疑問を抱いた信徒を殺害、11月には被害者支援を機に教団の危険性を訴えるようになっていた坂本堤弁護士と妻、当時1歳の長男を殺害するに至った。

■犯行の裏で、バラエティ番組にも積極的に出演

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 次のターニングポイントとされているのが、1990年の衆院総選挙出馬だ。「真理党」を旗揚げ、松本死刑囚をはじめ教団幹部ら24人が立候補するも全員が落選。松本死刑囚の裁判では「選挙惨敗を受け、より暴力的な救済、無差別大量殺人の実行を宣言し、武装化を進めた」と指摘されている。

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 信徒数1万人という巨大組織へと成長したこの時期、教団は山梨の上九一色村に大規模な施設を建設。さらに国家をモチーフに「省庁制」を導入する。松本死刑囚の下に「外務省」「大蔵省」など、20ほどの省庁を設置した。

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 しかし、これまでの宗教団体のイメージとは異なる活動にマスコミも注目、松本死刑囚ほか教団幹部が積極的にメディアに露出。裏側では凶悪犯罪を続けながら、表向きはバラエティ番組に出演して若者の人生相談に乗る、という状況が続いたのだ。警察は坂本弁護士事件の初動捜査に失敗、犯行がオウムによるものだと判明したのは1995年、岡崎死刑囚の自供によってだった。

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 「"宗教団体がそういうことをするはずがない"という先入観が警察にはあったし、当時のオウムほどの規模になれば、警察組織やマスコミの中にも信者がいて、捜査情報が漏れる状態にあったはずだ。警察が動くかもしれないという状況の中、やはり"ソフト戦略"を展開し、カモフラージュしようとしたのだと思う。総選挙での麻原彰晃の被りものや、松本死刑囚の歌もすごく人気になり、子どもたちが盛んに真似をしていた。世間だけではなく、警察も分かっていなかった」(宮台氏)。

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 そして、オウムの犯罪は教団に敵対する人々を対象としたものから、無差別な市民をも巻き込むものへとエスカレートする。1994年、長野県・松本市で起きた松本サリン事件では、教団の土地取得をめぐる裁判の裁判官が住む宿舎周辺に猛毒のサリンを噴霧。この無差別テロにより8人が死亡、約600人が重軽傷を負ったが、ここでも当初、警察やメディアの目がオウムに向くことはなく、冤罪すら生んでしまった。

■着々と武装化、海外展開も

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 1995年の元日、読売新聞が「松本サリン事件と同じ残留物質がオウム真理教の施設のある上九一色村で検出された」との内容をスクープする。

 オウム真理教の取材を続けてきた所太郎氏は「そこから全マスコミの注目が上九一色村に集まり、強制捜査が間近ではないかと言われはじめた。1月17日に阪神淡路大震災が発生しオウムへの捜査着手が延びてしまったが、それでも地震が落ち着けば、いずれ強制捜査が入るということを教団は把握していたと考えられる。そこで、我が国の中枢がある霞が関に乗り入れている地下鉄路線を狙う無差別テロ『地下鉄サリン事件』を計画した」と話す。

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 松本死刑囚には、大量殺人を行うことで"ハルマゲドン""世紀末"を演出し、教団の求心力と自らのカリスマ性を高めようという意図もあったとみられている。同年3月20日、教団は通勤時間帯の地下鉄車内でサリンを散布。死者13人、重軽傷者は6200人以上に上った。2日後、警視庁が上九一色村の施設を強制捜査。5月には隠し部屋にいた松本死刑囚が逮捕され、前後して教団幹部らも相次いで逮捕された。

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 「オウム真理教は"ソフト路線"の裏で着々と海外展開と、サリンやVXガスなどの毒ガスだけでなく、銃の密造などによる武装化も進めていた。日本の支配者はアメリカなので、世直しのためには最終的にアメリカと戦うためのものが必要になると考えていた。ある意味では合理的だが、ちょっとマンガ的でもあるストレートさがあった」(宮台氏)。

■日大アメフト部と同じメカニズムが?

 強制捜査から23年。松本死刑囚は意思疎通を図るのが難しい状態が続いていたといい、受刑能力や真相究明の観点から治療を求める声が三女の松本麗華さんなどから上がっていた。先月にはジャーナリストらによる「オウム事件真相究明の会」が発足、国による対応を要請していたタイミングでの執行だった。

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 教団の元幹部で「アレフ」から分派した「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏は「オウム真理教の犯罪に関しては、その当時私も教団において重大な責任を有しており、それに鑑み、またこの機会をいただき被害者遺族の皆様に深くお詫び申し上げたいと思う」と謝罪した。

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 宮台氏は「上祐氏は教団が総選挙に出ることに反対するなど、幹部たちとの間に齟齬が生じていたためにロシアに飛ばされたためサリン事件には関与していないが、そうでなければ死刑になる犯罪に関わっていたかもしれない。

 上祐氏をはじめとする元信者に聞いて感じたのは、誰もが幹部になりうる立場にあったし、幹部になれば誰もが同じことをした可能性があるということ。また、幹部たちは裁判で"麻原に言われたから"と証言しているが、普通だったら"いくらなんでもできません"と断るはずだ。それでも断れなかった理由については、裁判では明らかになっていない」と指摘する。

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 地下鉄サリン事件で地下鉄職員だった夫を亡くした高橋シズヱさんは「今後のテロ防止ということでは、もっと彼らに色々なことを話してほしかった。それができなくなってしまった。そういう心残りがある」と語った。

 95年に起きた拉致監禁致死事件で、父親である仮谷清志さんを亡くした仮谷実さんは「私たちが一番知りたいのは父の最期の場面。死んだのか、殺されたのかというところ。井上はともかく、中川とはもう少しじっくりと話をしてみたかったという気持ちは正直ある」とコメントしている。

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 「松本死刑囚は特殊な他者操縦の手法を使い、強い恐怖や崩壊感覚が生じさせた。信者たちは恐ろしい体験をしたくないという思いから言いなりになってしまっていた。

 僕も麻原や幹部が使っていたのと同じような手法を学んだことがあるが、3~5分間くらい話すだけで吐いたり気絶したり、あるいはその寸前の状態から立て直したりと、手品のような姿に圧倒された。体が浮いているという体験、体が燃えているという体験、あるいは神の声が聞こえるといった体験を生じさせることもできる。

 そんな心の中に食い込むトレーニングによって操られた状態から逃れることは難しい。つまり脅されたわけでも、ある価値観に洗脳されていたわけでもなく、ただ"神秘体験を引き起こした麻原はすごい人だ"ということがあっただけ。そして、"麻原はすごい人だ"という前提で省庁制も回っていた。

 そこには今の首相官邸周辺とまったく同じ、権力者に気に入られるための忖度競争があったはずだし、これは帝国陸海軍や日大アメフト部のメカニズムとも一緒。僕たちがよく知っている問題と同じ構造は今も繰り返されている。このことが多くの人に理解されないまま事件が忘れ去られるのであれば、同じことは再び繰り返されるだろうし、繰り返すことは非常に容易だ」(宮台氏)。

■今の若い人たちも必死で生きているという点では同じ

 スタジオのパンサー向井慧(1985生まれ)、ハヤカワ五味(1995年生まれ)、紗倉まな(1993年生まれ)が様々な事実に驚きの声を上げる中、1981年生まれで、地下鉄サリン事件当時は中学2年生だった宇佐美典也氏は「僕は教団幹部の村井秀夫氏が刺殺された南青山の東京総本部から徒歩1分くらいのところに住んでいたし、毎日通るような所にオウムが運営するパソコンショップがあったので、オウム真理教は身近な存在だった。選挙活動も目撃した。

 だからずっと気になっていたし、どこかでケリをつけてほしいと思っていた。松本死刑囚の経歴を見れば、薬局を経営して、不正受給をして、薬事法違反して、普通の社会にいられなくなって宗教を始めたという、どこか人間として理解できる部分もある。でも世間は彼をモンスターとして描いたままだと思う。もっと彼をどこかで間違ってしまった人間として扱うべきだし、オウム真理教も社会と断絶したものではなく、人間が作った組織だと理解して整理しなければいけないと思う。その役割を公安調査庁はじめ、国に担ってほしかった」と話す。

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 これに対し所氏は「現場で取材していた私には質の悪い詐欺師にしか見えなかった」とコメント、宮台氏は「確かに松本死刑囚は社会に対する怨念を持っていた可能性があり、それによって社会の周辺、あるいは外側に出てしまったのだと思う。それが何と結びつくと"教祖"になってしまうのか、僕も知りたい。だが、そういうことのできる役人はいないだろう。

 ただ、ネトウヨを見れば分かるように、社会に漠たる怨念を持っている人たちは今もいるし、地下鉄サリン事件から10年後の2005年くらいから、若い人が宗教団体に入るケースはどんどん増えている。生きづらいけど、そこに行けば仲間がいて正直になれる。演技しないでいられる。教団幹部とは違うかもしれないが、今の若い人たちも負け組にならないように、落ちないようにと必死で生きていて、不安があるという点では同じだ。

 LINEの既読プレッシャー、キャラクターを演じ、KYにならないようにして、怯えながら生きていいる。性愛からも退却、"意識高い系"のような演技空間の中で日常を生きるのがどれだけ楽しいのか。この社会はクズだ、クソだと思うヤツがたくさんいても不思議ではない」と指摘。

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 その上で「2020年の東京オリンピックの後、日本は崩れていくと思う。そんな時、免疫のない若い人たちが宗教に関心を持ち、教団を回している人に神通力があると思い、この人達に従っていればなんとかなると考える。そしてその先には組織の忖度競争があり…と考えれば、誰もがオウムのようになる可能性がある。

 宇佐美さんがオウムを知っているギリギリの世代だと思うが、やはり物心が付いていない人たちは当時のことを覚えていないので、不安も恐怖も憎悪もない。だからこそ年長者が、昔オウム真理教というのがあって、人々がこういう動機で入って、こういうことになってしまったと述べ伝えていくべきだ」と警鐘を鳴らした。(『AbemaPrime』より)

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