「エモーショナル(感情的)な反対運動をする人たちと議論をしても意味がない」。原発政策に関する国民的な議論をめぐる経団連の中西宏明会長の発言に疑問の声が上がっている。議論に感情は要らないのだろうか。そんな疑問を呈するウーマンラッシュアワー・村本大輔の疑問に、社会学者の宮台真司・首都大学東京教授が答えた。
宮台氏:感情の問題については、感情的であることがむしろ大切。自分のことであれ人のことであれ、感情を見極めることが大事で、保身、自己防衛、ポジション取りに走ってる奴は僕の言葉で言えば「クズ」だなということ。日本は「クズ官僚」「クズ政治家」の集合体だ。(中西会長発言も)単に無教養だ。この10年間の実験心理学と実験ベースの道徳心理学の発展があって、何を意思するにしても感情が発火点だということが証明されている。人は動機がなければ何もしないし、動機があるということは感情が発火しているということ。だから感情とは無縁の行動が存在すると考えている時点でそいつはだめ、頭が悪いということでいい。ただ、感情の中にも区別がある。浅ましい感情と尊敬すべき感情だ。損得感情で、自分の保身のため、あるいは日本ではよくあることだけど、あるサークルの中で自分のポジションを保つための「損得による忖度」から何かをしているのが浅ましい感情。僕はそういうのを「言葉の自動機械」だとみなしているし、相手にしなくていい。それに対し、人が誰かに「感染」する時、必ずその感染先は保身的ではなく、利他的。ゲノム的な要因だが、普通の人ではありえないような遠くのこと、遠くの人のことまで考えている人を見ると、僕らは「感染」する。だから、その人を動かしているのが保身的な損得感情なのか、そうではなくて、より遠くまで色んなことを考えて、自分のためじゃなく色んな人間のために想像力を働かせているのか。それが重要だ。