「木造化を進めて、早く名古屋の宝物を作ってくれというのが名古屋市民の間違いない意志だと」(河村たかし市長)。
観光の目玉にと、総工費505億円をかけ、鉄筋コンクリート製の天守を木造で復元するという一大計画が進む名古屋城。しかし、「天守の復元よりも先に守るべきものがある」と憤るのが、考古学の専門家たちだ。400年の歴史を持つ文化財の保護が問われる現場の今を取材した。
■「世界にアピールできるものがないといかん」
徳川家康が全国の大名に命じて築かせ、1615年に完成した名古屋城。1930年には城としては第一号となる国宝に指定されたが、1945年の名古屋大空襲で天守が焼け落ちてしまう。1959年には復興を願う市民の寄付によって費用のほとんどが賄われ、残された石垣の上に鉄筋コンクリート造りの天守が再建された。
この天守は資料館として長らく親しまれてきたが、市は耐震強度に問題があるとして昨年5月に閉鎖。そして、その1年前に市議会で可決されたのが天守の木造復元に向けた関連予算案だった。
計画の旗振り役の河村たかし市長は2022年12月の木造復元の完成を公約にし3期目の当選を果たした。「やっぱり名古屋のお城の木造復元というのは絶対不可欠だと思いますよ。本物だから。世界にアピールできるものがないといかん、やっぱり。世界の人に来てちょうよと」。
実測図など、豊富な資料が残されている名古屋城は、築城当時に近い形での復元が可能だ。しかし400年前から、今もその姿を留めているものがある。それが石垣だ。
■当時最高の築城技術が詰まっている石垣
「大好きなんです、石垣」「昔の人がこれを組んだところが見たかったですね。」「あちらで刻印がたくさん見られるので、面白いと思って見ていました」。
普段は入れない場所で行われた名古屋城の石垣見学会では、参加者たちが築城を担当した大名たちの「刻印」が残る石を目の当たりにできる。「どうしても石垣ばかり見ちゃいますね」と感慨深く語るのが、石垣を研究している奈良大学の千田嘉博教授だ。
長いものでは400年が経っている石垣の表面に見えている大きな石は「築石」と呼ばれ、裏には「背面土」という土が積まれ、土台となっている。この間には拳ほどの大きさの「栗石」という小石が敷き詰められ、背面土に溜まった水をはけさせ、地震の際には背面土と築石の揺れの違いを緩和させる役割を担っている。
地元・愛知県出身で、子どものころから名古屋城に親しんできたという千田教授は「いつ作ったか、だれが作ったかっていうのがはっきり記録でわかって、しかも本物の石垣が残っているというのは全国的にも非常に珍しい。特別史跡に指定されているのも、なるほど、そうすべきだと思わせる、素晴らしい石垣です」と強調する。
「天守は残念ながら戦争で焼けてしまって、戦後に鉄筋コンクリートで外観復元をした建物ですから、今のところ文化財の指定は受けていないという状況です。それに対して、下に残る大天守台や小天守台の石垣、それから城内いろんなところに残っている石垣は国の特別史跡ということで、高い価値があると認められています」。
■天守を真下で支える石垣が変形
特別史跡に指定されている場合、現在の形を変えるような工事は文化庁の許可が必要となっており、天守の木造復元も、その対象だ。
石垣の一部が膨らむように変形し崩落の危険があったことから、許可を得て工事が進められているのが、天守北側にある本丸搦手馬出だ。2004年から、およそ4000個の石を一つ一つ取り外して修復作業を行っている。かかった時間は解体だけで15年。修復の完成がいつになるのか、目途すら立っていない。
石工の和田行雄さんは「いろいろ調査しながら下さなあかんからね。積みなおし、いうことになると、やっぱり丁寧に積まないとあかんし、時間はかかります」と話す。
見てみると、確かに一部がぽっこりと膨らみ、石垣の形が変形していることがわかる。内側に溜まった雨などの影響で、栗石が表面の石を押し出していると考えられている。しかし実際の痛み具合や、どのような保全が必要なのかを把握するための詳しい調査は行われてはいない。「壊れてきているということの現れです。前提となる調査や分析ができていない状況で復元の計画を進めるのは難しいのではないかと思っています」。
■「名古屋城は今までやれてこなかったことがある」
そこで「石垣部会」では、当選によって民意を得たと主張、「名古屋のシンボルを1000年大事にしようということで、ある意味では住民投票みたいなもんだとわしは言っていた」と話す河村市長に「待った」をかけた。
千田教授は「このままでは名古屋城の歴史的な価値を痛めてしまう計画になりかねないということで、根本から見直してもらいたいと思います」と主張。委員の一人、赤羽一郎氏も「名古屋市は文化財に対する考え方が甘い部分があるんじゃないかなという気がしているし、文化庁も危惧していると思う」と指摘した。
実際、文化庁も木造復元を申請する際には石垣部会の了承を得ることを求めており、申請までに部会を納得させられるような調査結果が出せるかが焦点となった。
■「確実に次の世代に渡していく」金沢での取り組み
「名古屋市ってこれまでぜんぜん文化財的な調査やっていないんですよ」。調査を担当することになったのが、市の職員(名古屋城総合事務所)で学芸員の木村有作さんだ。石垣にかかわる全国の自治体が集まる会議にも出席した。「大きな制約のある工事が現在の文化財としての修復工事である」(金沢城調査研究所・北垣聡一郎名誉所長)。そんな他の自治体による報告に触れ、「本来は並行してやらなきゃいけなかったことがやれていなかった。それについては非常に参考になりました」。
20年前から石垣の調査で先進的な取り組みを行っている金沢城調査研究所の富田和気夫課長は、3Dプリンターによる精密な模型を用いたシミュレーションなど、初めての試みも導入していると話す。石垣のふくらみや変形についても、センサーを付け、24時間体制で崩落の予兆がないか計測しているという。
「確実に次の世代に渡していく、というのが文化財の保存活用を担う行政の大きな仕事なんですよね。確実に渡さないといけないんですよ。調査研究というのはお城の意義を深める上でも、整備する上でも一番のスタート地点で重要なものと思いますけどね」(冨田さん)。
■「50年、100年くらいの感覚で考えていく必要がある」
調査開始から10か月後の名古屋城石垣部会。千田教授が指摘していた石垣のふくらみは、木村さんたちの調査でも変形していることが明らかになったが、市の報告書では一部は不安定なものの概ね安定しているとして、工事を進めても問題はないと結論付けていた。
この報告に驚いた千田教授は「危機的状況にあると石垣部会で判断しているので、大部分は安定しているという評価でしたが、その評価とは全く異なっているという状況だといえる」と反論。調査はやり直しとなり、石垣には急遽足場が組まれた。
しかし木造復元を2022年に間に合わせるには、5月までに文化庁の工事許可が降りなければならない。木村さんは市長が決めた完成目標を尊重する一方、時間をかけた調査の必要性も感じていた。「城全体に言えると思いますけど、実際に石垣を触った人間としては、やっぱり50年、100年くらいの感覚で修理とか整備とか考えていく必要があるという感想を持っています」。
■「これが認められなければ関係者全員切腹です」
「ハグせな。愛のキスをせないかん」。昨年11月、岩手県奥州市では河村市長の立ち会いのもと樹齢400年の立派な松が切り倒された。必要な木材のおよそ4分の1が既に確保できているという。石垣調査の先が見えない中、木造復元に向けた準備は進む。
今年3月、再び開かれた石垣部会で、名古屋市は木造復元工事をひとまず棚上げし、今ある天守の解体工事だけを文化庁に申請する計画を示した。しかし石垣部会は、たとえ解体工事を切り離しても、調査が不十分なことに変わりはないと納得しなかった。「名古屋市として根本から見直してもらいたいと思います」というスタンスの千田教授も「何回トライしてもそのやり方では認められない」と語気を強めた。
これに対し、河村市長は「みんな切腹と。ただ、私一人では切腹しません。関係者全員切腹です。これが認められなければ」と話す。2022年の完成にこだわる名古屋市と、文化財を守るため詳細な調査を求める石垣部会は平行線のままだ。
「石垣技術の最高峰の人たちが作った石垣だと我々は思っています」と話していた木村さんは「ちょっと私の口では言えないです。申し訳ない。本当に言えない。もうここまで来たら、今日の会議を見ていたら、とても怖くて口開けないですよ」と口ごもる。
天守はどうなるのか、そして石垣はどうなるのか。名古屋城の価値を知る人たちの憂いは続く。