■「私は全然、事件には関係していません」
鹿児島県大崎町にある、深さ1メートルほどの側溝。ここに当時42歳の男性が自転車ごと転落した。男性は3日後、ここから700メートルほど離れた自宅に隣接する牛小屋の堆肥置き場から遺体となって見つかった。1979年、のどかな田園風景が広がる地域で起きたこの出来事が全ての始まりだった。
殺人・死体遺棄事件として捜査した警察が主犯の疑いで逮捕したが、男性の義理の姉に当たる原口アヤ子さん(当時52)だった。男性は酒癖が悪く、その日も泥酔していたことから、恨みを募らせての犯行だとされた。同じ敷地に住む当時の夫、義理の弟、おいも逮捕された。
翌1980年には鹿児島地裁が原口さんに有罪判決、さらに1981年には最高裁が上告を棄却、懲役10年の刑が確定した。
確定判決が認定した事実はこうだ。泥酔して自宅の土間に座り込んでいる男性の元を当時の夫、義理の弟、そして原口さんが訪れ、殴るなどした後、土間から6畳間に移動させる。ここで男性の体を押さえつけ、凶器とされたタオルで絞殺、さらに死体を遺棄するためにおいを連れてきて、隣の牛小屋へ移動。ここで原口さんが堆肥置き場に深く穴を掘るよう指示、そこに死体を遺棄したというものだ。
しかし、原口さんが刑務所から家族や弁護士に送った手紙には「全然身に覚えのないことです」「父の死に目にも会えないで」と綴られている。
「最初の取り調べの段階から、一審から最高裁まで終わるまで無実を訴えてきました。私は全然、事件には関係していません」。服役後の1995年、原口さんは「男性の死因は転落事故によるものだった」として裁判のやり直しを求める(1回目の再審請求)。
鹿児島地裁は再審開始を認めたものの、決定は福岡高裁宮崎支部に取り消され、さらに最高裁にも認められなかった。
■冷たい視線に晒され、つばを吐きかけられたことも
服役中に母親も亡くなり、夫とも離婚。しかし、辛い思いをさせた子どもたちのためにもと、原口さんは署名を集めるなどして無実を訴え続けた。しかし街頭では冷たい視線に晒され、つばを吐きかけられたこともあったという。
「大崎事件」と呼ばれるこの事件は、凶器とされるタオルが特定されていないなど客観的な証拠がほとんどなく、有罪の決め手となったのは、共犯とされる3人の自白だった。しかし3人には知的障害があり、自白を誘導された可能性も指摘されていた。3人はすでに亡くなっているが、そのうちの1人、原口さんのおいが服役後に弁護士らに語った証言テープが残されている。
「警察に色々言われた?」「はい」「どういうふうに言われた?」「やったろうが、と言われたです」「やってないと言ったでしょう?」「はい、一番最初はやっていないと言った」「あなた自身はしてないでしょう」「はい、やっていないんですよ、自分は」「あなたはどこにいたんですか。そう言われている時間は。家にずっといたの?」「お父さんとけんかをして、ずっと家にいた。家から一歩も出なかったです、その晩は」
再会を果たせなかった母が「アヤ子と暮らす」と言って建てた家に一人で暮らし、ときおり訪れる支援者らの励ましを受けながら、原口さんは2010年8月、2回目の再審請求を行う。
"自白の信用性は高くない"。そう考えた弁護団は、裏付けとなる証拠を集めようと、裁判に提出されていなかった供述調書や捜査報告書を開示するよう検察に求めた。この頃、再審開始の決定が出された布川事件や東電OL殺人事件など、新たな証拠が明らかになり再審で無罪となるケースが相次いでいた。
しかし検察は「第1次再審請求審で開示した以上の証拠は無い見込み」、警察も「保管していない。過去にあったとしても検察庁に送っている」と回答した。
そこで弁護団は、検察に対し開示を働きかけるよう鹿児島地裁に求めた。通常の刑事裁判では、検察は捜査で集められた証拠のうち、有罪につながるものだけを裁判所に提出する。一方、提出されていない証拠の中には、再審請求をしている本人にとっては有利な、無罪につながる証拠が埋もれている可能性がある。
ところが鹿児島地裁は再三の求めにも関わらず、「(証拠開示の)必要性も相当性もない」「(検察・警察の回答に)疑わしい点は特に見当たらない」として、検察に対する開示勧告を行うことはなかった。
■「ない」とされた証拠資料が続々と…
「これだけ出てきました」「新たに鹿児島県警にありましたと言っているわけで、これはもう今までのことがすべて嘘だったということがわかったわけです」。
大崎事件弁護団事務局長の鴨志田祐美弁護士が示した分厚い書類の束。鹿児島地裁とは対照的に、即時抗告審の福岡高裁宮崎支部が証拠開示に積極的だったことから、「ない」とされた証拠が、あろうことか次々と出てきたのだ。事件発生から34年が経って五月雨式に開示された証拠は合わせて213点。警察のメモなどから、共犯とされた3人が捜査の初期段階で確定判決とは異なる供述をしていたこともわかった。
しかし、2回目の再審開始も認められることはなかったため、2015年7月、原口さんは3回目の請求を行う。その過程では、検察が裁判所に促され、捜査の状況などを撮影したネガフィルム18本を新たに開示した。それが保管されていた場所は、真っ先に探すはずの、警察署の写真棚だったという。「収集した未開示の証拠はすべて開示した。未開示の書類はない」「新たに鹿児島県警に現存していることが判明したすべての証拠を開示した」とする検察の説明も、事実とは異なっていたことが判明したのだ。
そして、開示された写真から浮かび上がってきたのが、関係者らの不自然な供述だ。
男性が側溝に転落した日の夜、近所の男性2人が軽トラックで自宅に送り届けたが、その際に助手席に乗っていた男性は軽トラックのフロント部分が「家に向いていた」と供述していた。一方、運転していた男性の証言に基づいて再現された写真では、トラックは家とは反対の方向を向いていた。つまり、男性2人の証言が大きく食い違っているのだ。
原口さんの義理の弟・二郎の妻ハナが犯行前に目撃したことも写真で再現されていた。それまで裁判所は、ハナの供述が信頼できることから、3人の供述も信頼できるとしていた。これらの写真では、犯行があったとされる日の夜、義理の弟・二郎一家の自宅を原口さんが訪問。用を足すために外に出た二郎の後を追うように原口さんが出ていき、1分も経たないうちに、ハナも用を足すと外に出たという。
ところが、この時のことについて、二郎の説明は二転三転していた。結局、最後は「アヤ子が外に出るように合図するよう、目くばせしたので私も外に出た」と供述。つまり、先に原口さんが外に出たことになっているため、ハナと二郎の順番が食い違っているのだ。
写真には、ハナが見聞きしたことの再現が続いていた。ハナが外に出ると、原口さんと二郎が殺人の計画について話しているところに遭遇。それを2~3メートルしか離れていない場所で立って聞いていたというのだ。
さらに遺体が見つかった堆肥を映した写真も残っており、多くの捜査員を動員し、かきだした堆肥をしらみつぶしに調べている様子が浮かび上がってきた。ずさんな捜査などではなく、むしろ大掛かりに行われていたことが伺える。「供述のおかしさが調書では見えなくても、写真にするとはっきりわかる」「逆に言うと、それだけ捜査したのに、客観証拠と呼べるものが何一つ、確定審段階では出されていない。それが何を意味するか。要は原口さんをはじめとする、確定判決で有罪とされた者は、やはり犯行に関与していないということではないか」(鴨志田弁護士)。
■「裁判所のさじ加減によって"再審格差"が生まれている」
なぜ、"証拠隠し"とも言えるような対応がまかり通ってしまうのだろうか。鴨志田弁護士は「刑事訴訟法には、再審手続きに関する規定がほとんどないと言ってもいいぐらい少ない」と説明する。
裁判員裁判も導入された通常の刑事裁判では、公判前整理手続きなど、一定の証拠開示も進められている。ところが再審請求については明確な規定がなく、検察に対する証拠開示勧告や命令は裁判所の裁量に委ねられている。さらに検察に開示の義務はなく、勧告に従わなかったとしてもペナルティはないことになっているのだ。
鴨志田弁護士は続ける。「裁判所のさじ加減によって、救われる事件と救われない事件が出てくるということだと思う。積極的な訴訟指揮で隠されていた無罪方向の証拠が出れば請求人は救われていくし、そうでなければ、いくら無実を訴えても証拠は埋もれたままになり、請求人は救われずに終わってしまう。このゆゆしき状況を、私は"再審格差"と名付けた。そして、ひとつの事件でこれほどの"再審格差"を味わった事件は、この大崎事件をおいてほかにないのではないか」。
大崎事件に象徴される"再審格差"の是正のため、法律を整備すべきとの声は他の弁護士や研究者たちからも上がっているが、未だ実現には至っていない。
再審制度や冤罪事件に詳しい成城大学法学部の指宿信教授は「自白の信用性がないのか、医学的な鑑定が間違っているのか、アリバイがあるのか。そういう色々なタイプの事件があるため、定型化、法制化しにくいので、ためらいがあると思われる。裁判官も、先輩や同僚の間違いになるからあまりやりたくないし、検察官はもっとやりたくない」と指摘する。
そして2017年6月。共犯とされた3人の自白について、鹿児島地裁は「内容が整合しているのは大まかな点だけで、いずれも信用性は高くない」と判断、「捜査機関の誘導により供述が変遷した疑いがある」と指摘し、再審開始が決定した。支援者からの「先生、おめでとうございます」との声に嗚咽する鴨志田弁護士。原口さんの元にも一報がもたらされ、弁護士に電話で「ありがとう」と話した。
その一方、鹿児島県警は「当時の捜査のあり方などについてはコメントを差し控える」とした。本当に捜査は適正だったのだろうか。当時の捜査員は取材に対し「当時の捜査としては間違いなくやっていますから。自白の誘導はないです。もう40年前のことだから」と口を閉ざした。
2018年3月。検察の即時抗告に対し、福岡高裁宮崎支部も再審開始を認めた。死因については、「転落事故による出血性ショック死の可能性が高い」との見方を示した。検察側は、これも不服として特別抗告。判断は最高裁に委ねられた。鴨志田弁護士は「許せない。命をかけて、一生をかけて戦って、90歳になった原口アヤ子さんの人生を一体どう思っているのか」と憤った。
8月、ひとりでの生活がままならず施設に入所している原口さんの元を、えん罪被害者の桜井昌司さん、袴田事件の袴田巌さんの姉・秀子さんらが励ましに訪れた。涙を拭い、「元気出して、元気出して」と声を掛ける秀子さんに、話すのも難しくなっている原口さんは「ア…」と声をふり絞った。
■日本が手本としたドイツでは1964年に制度改正
裁判所が再審開始を3回認めたにも関わらず、なぜ検察は、頑なに拒むのか。その理由について、元検事の山内良輝弁護士は「検察としてみると、再審はあってはならないからだ」と説明する。「通常審の中では、検察は司法機関としての役割を強く持っている。真実を追究し、正義を実現すると。逆に再審となると、検察は国家機関としての役割、秩序維持機関としての役割が強くなるので、いったん決まった判決は決して動かしてはならないという面が強まり、証拠開示に対しても消極的になるということが言えると思う」。
英米法の場合、通常の裁判で無罪の判決が出れば、そもそも上訴することはできない。一方、ドイツ法を参考にした日本の刑事訴訟法だが、そのドイツでは1964年、再審開始決定への検察の抗告を禁止する法改正がなされている。しかし日本では、今も検察の抗告が認められており、証拠開示とともに再審を遅らせる要因となっていることが指摘されている。
「日本だけがなぜこの制度を残しているのか、極めて問題。組織の利益だけ、自分たちのメンツのためだけにこんなこと(抗告)をやっているのは、"再審妨害"だと思っている。変えるには法改正しかない」(鴨志田弁護士)。
法改正を求める声が高まる中、今年5月、えん罪被害者やその支援者、研究者、弁護士などが集まり「再審法改正を目指す市民の会」が発足した。
代表となった桜井昌司さんが国家賠償を求めた裁判では、検察が証拠開示を拒否したことは違法であるとされた。違法性を認めたのは、これが初めてのケースとみられるが、通常の刑事裁判のケースに限られ、再審請求後の対応は違法とは認められなかった。会では、再審のためのすべての証拠の開示、検察の抗告の禁止、これらを刑事訴訟法に盛り込むことを目指している。
出席した鴨志田弁護士は「アヤ子さんは、まもなく再審開始が確定して、きっと無罪になるんだろうと信じています。でもね、うれしくないですよ。だってこんなに時間がかかってしまったから。もうこんなことはやめにしようと。2019年は、"再審法改正元年"にしなきゃダメです。一緒に戦ってください」と挨拶した。
待ち望む「再審無罪」の知らせは未だ届かない。「桜の花が咲くまでにと思っていたのに、葉桜になっちゃった」。そう話し、原口さんの元を訪れた鴨志田弁護士。原口さんは、まもなく92歳になる。
※6月25日、最高裁は3回目の再審請求を棄却。弁護団は今月、4回目の再審請求を行う方針を固めた。その間、原口さんは92歳の誕生日を迎えた。

























