朝日が昇る熊本城。城に向かい、手を合わせる女性2人組。「城は生きる力」「ああ、良いこと言うねえ、元気の素だろうね」。
400年間、城下を見守ってきた城。そびえ立つ大小2つの天守閣は、心に刻まれた熊本の誇りだった。そして2016年4月、いつもと変わらぬ春が巡ってきたと思っていた。その矢先の熊本地震。272人の命が奪われ、被災した家屋は19万棟、避難生活を余儀なくされた人は18万人に上った。
熊本城も、かつての勇壮な姿が一変、落城したかのようになった。櫓など、13ある国の重要文化財は全て被災。反り返る「武者返し」で知られる石垣の被害は特に大きく、すべての復旧が終わるまでに20年かかる見通しとされた。
“あの雄姿を再び”。熊本城を未来に継ぐために奮闘する人たちの1269日を追った。
■シンボルの製作を受け継ぐ職人
「父がつくった鯱が屋根に見当たらないと聞いたときは、そんなはずはない…と。家族にとって誇りだもんで」。藤本鬼瓦の二代目、鬼師の藤本康祐さん(57)は天守閣の鯱の製作を引き受けた。道標となるのは、8年前に雷が原因とみられる亀裂が見つかった時、亡き父・勝巳さんがつくった図面だ。
地震から1年が経ち、本格的な復旧工事が始まった。復興のシンボルとするため、天守閣を優先することになった。大天守の最上階は屋根を支える鉄骨の損傷が激しく、一度解体して組み直された。8年前は父を手伝った藤本さん。今回は三代目を継ぐ息子が手伝う。
そして2018年4月6日。大天守に鯱が戻った。その姿を見ようと、多くの人たちが訪れた。「すごく感動的です。ああいう瞬間を見ると、本当いいなあと思います。勇気もらえた気がします」。
藤本さんも「天守の最上階ができあがるということは、確かに熊本県は復興に向かって歩んでいるのだな、自分も頑張ろう、そういう道標になると私は思っています」と力を込めた。
■技を継ぐ石工
地震で崩れた石垣の石の数は3万個。膨らんだり、緩んだりした箇所もあり、積み直しが必要な石は7~10万個にも上る。一つひとつ番号を振って保管し、元の位置を特定して積み直すのだ。熊本城の石垣は明治22年のマグニチュード6.3の地震でも被害を受けた。その際は石工ではなく、駐屯していた陸軍が石を積み直し修復した。今回の熊本地震では、その8割が崩落している。この石垣は、築城の名手・加藤清正が最高峰の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)を呼び寄せつくり上げたもの。再び崩れた今、石垣を築く技が求められる。
これまでも熊本城の石垣を修復してきた石工の河本浩次さん(44)。河本さんも、技術は師である父に教わった。「究極が集まっているのが熊本城というイメージが強いけんが、憧れの場所としか思えんかな。眺むると熊本城が常にある存在だけん、東京で言うなら、東京タワーみたいなもんじゃなかと?あるとが当たり前、絶対ないといかん存在」。
地震で崩れた石垣の工事は、これまでのものとは違った。割れるなどして積み直すことができない石は、築城当時と同じく、金峰山から切り出した安山岩で同じ形の石を作る。そして石工と補助員らが一体となり、大きいものは重量が1トンに達する石と石を隙間なく組み上げていく。しかし、特に天守閣の建物と石垣の間の作業は困難を極めた。クレーンを使うスペースがなく、滑車で吊り上げて一つずつ積み上げるため、1日に積める石の数は5~7個ほど。地道な復旧作業が続く。
2018年9月、復旧に取り組む石工たちによる研修会が開かれた。造園業などの若手が集まり、城郭の石垣の技術を学ぶ。河本さんも講師役を買って出た。「お城ば触ったことがないって言うもんしか、地元にはおらんとですよ。70歳の人があと何年しきらすかわからんけんですね、若手が必要でしょうね」。
時代とともに住宅などの事情が変わり、石工は全国的に後継者不足の問題を抱える。熊本城の石垣の復旧も、全国に呼び掛けて9人の石工を集め、なんとか計画通りに進めている状況だ。20年にわたって続く復旧工事を考えても、若手に技を受け継ぐ必要がある。「地震がなかったら、こういうこともなかったかもしれん。自分が頑張っとけば、勝手に後ろから見よるもんが石屋になりたいと付いてくるもんとしか思っとらんだったような感じがするね。若かつば伸ばしていかにゃんごつなるというような気持ちが高まった」。
2019年4月。熊本地震から3年。天守閣では石垣の復旧工事が続き、河本さんたち石工の作業が大詰めを迎えていた。そして2019年6月、天守閣の石垣がようやく復活した。小天守の外観の復旧も本格化。落ちた瓦も葺き直す。地震に備え、下地を土から木に変えて屋根を軽量化した。
また、国指定重要文化財の復旧も進む。現存する城の壁としては日本一の長さを誇る長塀。242メートルのうち、80メートルが内側に倒壊した。丁寧に解体、できる限り元の木材を使い、地震で傷んだ部分は新しい木材を継ぎ足す復旧作業に取り組む。
そして、築城当時から存在する宇土櫓は、今も手つかずの状態で復旧の時を待っている。“奇跡の一本石垣”が人々を勇気づけた飯田丸五階櫓(2005年に復元)は、石垣を積み直す必要もあることから一旦解体。その際、石垣の内側からは築城当時の石垣が見つかった。復旧は城の文化的価値を高める機会にもなった。
■城の魅力を語り継ぐ
復旧中の熊本城は、多くの場所が立ち入り禁止になっているが、それでも今の姿を見ようと観光客が訪れる。カナダから来た観光客に英語で声をかけるのは、案内係の土井健一郎さん(65)。商社に勤めた経験があり海外から訪れる人たちとの交流もお手の物。
絵を描くことが趣味の土井さんが「差し上げます」と差し出した絵に、観光客は驚きの声を上げる。熊本でふれ合った思い出にとプレゼントしているのは、石垣や瓦の一つひとつを精密に描いた、被災前の城の絵だ。「心苦しいですね、こんなに悲惨な状況なので。本当は崩れた石垣とかを描くべきなんでしょうけど…本当にこれは葛藤がありますね」。そんな土井さんについて、妻の芳江さんは「生き生きしています。お城が好きだから。被災したお城も残しとかないといけないというのはあると思っていたんですけど、なかなか描かないので」。
しかし、土井さんは復旧工事中の姿を描くことを決めた。「修復されたら描けないので、今のうちに残しておかないと」。被災した櫓の前に立ち、鉛筆を握った。「震災の後の様子が一番近くで生々しく残って見えるのが戌亥櫓。復興のプロセスにはこれを入れとかないと。クレーン車と石垣の崩落。ここが一番大事だと思うんですよ」。城の魅力とともに、被災の記憶を未来へ継ぐ。
そして迎えた今年10月5日。「最高ですね、雲一つないですよ。素晴らしいと思います。きょうは最高の復興の第一日になるんじゃないですかね」と笑顔の土井さん。大天守の外観の復旧が完了、この日から特別公開が始まるのだ。「特別な日です!」「From today!」と、観光客立ちに話しかける。
3年半の間、近づくことができなかった大天守の姿に、来場者からは「この角度の熊本城がいっちばん好き!」「もう涙が出ました。やっぱり今まで…ごめんなさい。一生懸命ね…まだこんな形なので。でも見られてよかったです」「あぁ、やっぱ私たちの支えだったって。私たちも復興を支えなきゃいけないし、私たちも支えられてるんだなというのを改めて感じました」と感激の声が上がる。
土井さんも、間近に見る天守に「うわぁ~!すごいなあ~!近くで見るとすごさが違いますね、やっぱりね。ねえ」と感慨深げだ。「復旧の第一歩。まさに10月5日は熊本城の歴史に残る、素晴らしい1日だと思います」「ぜひ!ぜひ描きます!間近で」。
震度7の揺れに2度襲われたあの日から1269日。地震で誇りは傷ついた。それでも少しずつ前に進んできた。見上げれば、いつも城が共にある。この日、踏み出した一歩は未来へと継ぐ第一歩だ。