俳優として活躍する萩原聖人が、プロとして身を置く麻雀界において心配していることがある。業界外への発信力だ。「このぐらいのことで外に発信をしても、みんなは振り向いてくれない」。一昔前に比べれば飛躍的に増えた映像コンテンツも、そのクオリティにまるで満足していないのだ。その理由は、芸能界で長年戦ってきた者だからこそ感じるものだった。
25年以上に渡り、麻雀対局の番組に出演してきた萩原。四半世紀やってきたからこそ、「その番組を、麻雀を知らない人、嫌いな人が見た時にどう思うか」は、身にしみている。今やネット番組でも大量に対局が放送されてはいるものの、そのクオリティは果たして既存のファンを楽しませるだけでなく、新規のファンの心をつかむものになっているか。その点をとても気にかけている。
比較する対象が、他の麻雀コンテンツか、それとも無数にあるエンタメコンテンツか。それに尽きる。「どうしても、業界内の評価が最優先になりがちなんですよね。そうなると発信の方向も内向きになる。それが僕は怖いんです」。麻雀ファンを楽しませるために、誠実に麻雀を伝える。それはそれでいい。ただし、そこに注力し過ぎることが、新規ファン獲得とは真逆のものに仕上がっていることもある。この事態に気づかず、力が内へ内へと向かっていくことだけは、とにかく避けるべき。そんな思いを持ち続けている。
ライトな麻雀ファンでも名前を知っている名雀士がいた。「ミスター麻雀」とも呼ばれた故・小島武夫さんだ。放送中に伝説級の役満・九蓮宝燈をアガった他、数々の劇的なシーンを見せてきたレジェンドの思いを、萩原は一生懸命引き継ごうとしている。「麻雀そのものにエンタメ性がある分、ドラマにもなるんです。小島先生がずっと長い時間をかけて、しかも押し付けがましくならないようにやってきた。そんなバトンのようなものがあるなら、受け取りたいとも思うんですよ」。芸能人でもなかった小島さんが、麻雀界の外にも多くのファンを持ったのは、もしかすると外に向かって発信すべきという意識が根底にあり、コンテンツとしても実現できたからかもしれない。そんなことを思うようになった。
俳優である以上、映像コンテンツに対して物足りなさはいくらでも感じる部分がある。対局者の表情、実況・解説のコメント。そもそもの番組構成。業界内の人々が手探り、見様見真似で作ってきた分、絶対的な指導者もメソッドもない。そのため萩原は、一選手の立場ではありながらも、最近では演出家の目線で考えることも増えた。「みんな大人だから、それぞれに任されちゃってますけど、物足りなさはまだまだあるので。どこまでやれるかですよね」と、関係者たちに自力での成長を促した。
業界イメージが「麻雀=ギャンブル」というものに塗りたくられていたころを考えれば、その点においてはかなり向上した。ただ、これからは無数にある映像コンテンツの競争だ。成長し続けるゲーム競技「eスポーツ」、さらには同様のテーブルゲームである「将棋」「囲碁」など、すぐ隣を見ただけでもライバルは多く、強大だ。肩を並べ、一歩でも前に出るために、やるべきことはまだまだある。2020年の萩原は、その強い思いでひた走る。