今から25年前の平成7年(1995年)1月17日、6400人以上の犠牲者を出した阪神・淡路大震災が勃発。甚大な被害を受けた淡路島でそのさなかに生まれたのが幕内の照強だった。
物心がついたときにはすでに辺りは復興を遂げ、不自由な生活を強いられることはなかったが、当時の映像を見たり肉親や周囲の人から話を聞くにつけて大きな衝撃を受け、のちに何かしらの宿命を感じるようになったという。
それでも少年時代は親の手を焼かせる“やんちゃ坊主”だった。相撲好きだった祖父の影響で小4のときに廻しを締め始め、地元の道場に通っていたが自身が中2のときに祖父が他界すると“やんちゃ”ぶりに拍車がかかり、やがて学校も休みがちに。ただし、相撲の稽古だけは決してサボらなかった。見かねた母親からは「高校に行くなら勉強しなさい。プロに行くなら遊んでもいい」と言われ、祖父の願いでもあった力士になることを決意。道場の監督と現師匠(元横綱旭富士)が知り合いだったという縁もあり、中学卒業と同時に伊勢ケ浜部屋の門を叩いた。
入門からちょうど10年。幕内力士として1.17を迎えたのは今年が初めてだった。初日から5連勝で臨んだものの徳勝龍に引き落とされ、25回目の誕生日を白星で飾ることはできなかった。それでも地元の人々の中には、元気に土俵で頑張っている小兵の雄姿を見て特別な思いを抱く人も少なくないに違いない。「照強」という四股名は入門時、強くなって被災した地元を明るく照らせという期待を込めて師匠から命名された。
「今まで迷惑をかけた分、親孝行もしないといけないし、自分の存在を通じて何年経っても震災のことを思い出してもらえたら。その責任を背負っていかないといけない」といつも心に誓っている。来年のこの日は三役で迎えたいという強い気持ちもある。故郷に更なるまばゆい光を照らすために。