一人大関は昇進チャンス? 1人以下から大関昇進、過去6人中5人が目安“33勝”未満 「東西に1人ずつ」の大原則
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 今場所の大関は貴景勝ただ1人となり、西横綱の鶴竜が空位となった西大関も兼ねる「横綱大関」となった。38年ぶりに「横綱大関」がお目見えしたことで場所前はかなり話題になったが、これはあくまでも番付上だけの措置であり、鶴竜は横綱として土俵上においては何ら変わることはない。

▶中継:朝乃山、既に大関の風格

 「横綱」の文字が番付に初めて登場したのは明治23年(1890年)夏場所から。当時は「横綱」は地位ではなく強豪大関に与えられる称号だったため、横綱が地位として明文化される明治42年(1909年)2月までは大関が番付における最高位であった。番付の最高位である大関は東西に必ず据えなければならないという当時の慣習が現在も番付上では続いている形だ。

 昨今、大関昇進の目安として直近3場所で33勝以上と言われており、今場所は大関取りが懸かる朝乃山は12勝が“ノルマ”とされている。しかし、過去の一人大関(あるいは大関不在)の場所での新大関誕生のケースを振り返ると、朝乃山にとっては追い風の例が並ぶ。

 年6場所制となった昭和33年(1958年)以降、大関が1人以下の場所で大関昇進を果たしたのは6例。そのうち5例が33勝未満での昇進だ。

<直近場所>

・若羽黒 7勝-11勝-12勝 昭和34年(1959年)秋場所 計30勝

・北の富士 8勝-10勝-10勝 昭和41年(1966年)名古屋場所 計28勝

・魁傑 7勝-12勝(優勝)-11勝 昭和50年(1977年)初場所 計30勝

・増位山(2代目) 8勝-11勝-12勝 昭和50年(1977年)初場所 計31勝

・琴風 9勝-10勝-12勝(優勝) 昭和56年(1981年)秋場所 計31勝

 昭和時代までは3場所で30勝が大まかな目安とされていたが、直近3場所以内に負け越しも含まれているケースも見受けられ、数字的にはやはり“甘い昇進”になる傾向が見て取れる。大関は最低でも東西に1人ずつ置くことが番付の大原則。朝乃山にとっては有利な条件や環境が揃っており、仮に横綱を倒して10勝、11勝でも過去の例からいけば昇進の可能性は高いかもしれない。

 しかし、朝乃山にとってこうしたデータの後押しなど必要ないだろう。3日目には苦手にしていた押し相撲タイプの大栄翔を力強い突っ張りで圧倒するなど、初日から4連勝。ここまでの盤石な相撲を見る限り、期待は大。文句なしで決めてくれるはずだ。

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堂々たる相撲で4連勝
堂々たる相撲で4連勝

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AbemaTV大相撲ダイジェスト 4日目
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