“春のセンバツ”が史上初の中止…2012年に取材の石戸諭氏「条件をクリアしても社会的に納得させるのが難しかった」
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 「無観客試合」での開催を目指して1週間、日本高等学校野球連盟は「第92回選抜高校野球大会」の中止を11日に発表した。この“春のセンバツ”は太平洋戦争の影響で中断したことはあるが、予定されていた大会の中止は初めてとなる。

 毎日新聞社の丸山昌宏大会会長は「甲子園出場の夢をつかんだ選手の皆さんの心情を考えると、中止の決定はまさに断腸の思い」、高野連の八田英二会長は「出場選手の健康への影響、これが最大の理由。それに対する不安がまだ払拭しきれなかった」と悔しさを滲ませた。中止決定には、選手たちが宿舎として利用する兵庫県と大阪府で、無観客試合を発表した4日からの感染者数が兵庫は3人→37人、大阪は17人→80人と急増していることも要因にあった。

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 毎日新聞の記者時代に選抜高校野球を担当していたというフリーライターの石戸諭氏は、史上初の中止決定について「集団感染の条件として専門家会議があげているのが(1)換気が悪い、(2)人が密集する、(3)至近距離で多数の人が接触する、ところ。だだっ広い甲子園で無観客なら、大相撲と同じ形で開催は可能だという理屈は立ったと思う。しかし、政府の休校要請に多くの学校が応じていて、しかも高体連の大会は中止している。さらに大規模イベントの自粛も19日まで呼びかけている中で、プロスポーツにも影響が出ていることや強行すれば球児に批判がくることは確実。それを考えると、社会的に納得させるのが難しかったと思う」との見方を示す。

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 また、選抜高校野球は阪神淡路大震災(1995年1月)と東日本大震災(2011年3月)が起きた年にも行われてきた“特別な大会”だとし、「どちらも開催することで、応援するんだという大義名分があった。阪神淡路大震災の時は地元の人たちから『何か明るい話題が必要だ』ということで開催に踏み切った。東日本大震災の時は、直接被災しなかった関西から応援するという意義があった。僕が担当記者だった東日本大震災翌年の2012年も、石巻工業(宮城)が出場して、中には肉親を亡くした選手もいた。選手宣誓のクジを石巻工業の主将が引き当てて、多くの人を感動させる宣誓をした。試合は1回戦で負けちゃったけど見せ場も作って、それを地元の人は喜んだ」と自身の体験から語った。

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 一方で、中止の影響は周辺の宿泊施設や飲食店などにも及んでいる。石戸氏はその点を懸念し、「甲子園球場の周辺で多くの人が生計を立てていて、球児たちや応援団などからの収益がある。関西経済を含めて相当ひどい打撃を受けているのが心配」とした。

(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)

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