清宮海斗は“プロレスリング・ノアの申し子”のような選手だ。
レスラーを志したのは小学生低学年の頃。レンタルビデオ店でたまたま手に取ったのがノアの試合で、三沢光晴に心を奪われた。
「血を流しながら(相手の攻撃を)返して返して、最後に勝つ。なんでこんなにやられても返せるんだろうって、そういう姿が魅力でした」
高校卒業後、念願かなってノアに入門。他の団体は考えなかった。日々の練習は入門テストのメニューより何倍も厳しく、まったくついていけなかったという。
デビューは2015年12月。2年後に海外武者修行へ。帰国するとトップ戦線に加わり、2018年12月にGHCヘビー級王座を獲得した。同王座史上最年少でのベルト奪取だった。
「獲った時は実感がなくて。チャンピオンとしてリングに上がる中でやっと自覚が持てるようになりました。防衛戦を重ねるごとに重圧、責任感みたいなものを感じるようになって」
清宮は杉浦貴に勝ってチャンピオンになり、丸藤正道や中嶋勝彦といった先輩のトップ選手を相手に1年あまり王座を防衛し続けた。
ABEMAでノア中継のゲスト解説を担当した松井珠理奈(SKE48)は、清宮を“推し選手”にあげている。SKEでは最初から中心、AKBの選抜にも11歳で抜擢された珠理奈。やりがいにせよ重圧にせよ、共感する部分が多いのだろう。清宮もこう語っている。
「(チャンピオンとして)本当にこれを僕がやってくのか、という思いもありました。未知のところに突っ込むわけですから。でも、恐れることなく突き進むことができるようにもなりました。自分を信じる力が強くなりましたね」
大げさでなく、1試合ごとに成長していくひたむきな姿がチャンピオンの魅力だった。屈強かつ経験豊富な挑戦者に、王者が“立ち向かっていく”ような防衛戦。やられてもやられても返し、最後に勝つ闘いぶりは、彼自身がかつて憧れたものにも似ていた。
清宮はチャンピオン時代に「新しい景色」というスローガンを打ち出した。昨年、会社として体制が変わったノア。そういう面でも清宮は“象徴”だった。実際、清宮がベルトを巻いていた時期に新しいファンも増えている。
「僕が考えているのはプロレスリング・ノアを一番の団体にしたいということ。そのために団体を進化させていかなきゃいけない。僕がそれを担っていきたいんです」
今年1月にベルトを失ったが、進化を求める気持ちは変わっていない。時を同じくしてノアはサイバーエージェントグループ入り。コロナ禍の中でも“攻め”の活動を続け、積極的に無観客試合を行なっている。5月24日と31日には、清宮をフィーチャーした無観客大会『NOAH NEW HOPE』が配信される。“丸腰”となった今も、清宮海斗こそがノアの“新たなる希望”なのだ。
「(ABEMAでの中継は)プロレスに興味ない人に届いてるんじゃないかなって思います。これをきっかけにノアの魅力を世界に届けていきたい。これを続けていくことで進化が出てくるんじゃないかなと」
また清宮は、今の課題として「個人での発信にも力を入れていきたい」と言う。「ノアとしてだけでなく、自分自身の魅力も伝えていけたらと」。
では、今まだノアを、清宮を知らない人たちに何を見てほしいのか。
「今の僕は、誰にも負けないエネルギーがあると思うんですよ。ドロップキックだったり、技の勢い、パワーというか、プロレスに対する熱量。それを伝えていきたいですね」
他団体、他ジャンル含め意識する人間はいますか。そう聞いてみると、清宮は「棚橋弘至選手」と答えた。棚橋はかつて新日本プロレスを“復興”させた立役者だ。
「周りからも言われるんですよ。棚橋さんは苦しい時期にもこんなことをしてきた、明るい気持ちでやってきたと。団体をプラスの方向に引っ張ってきた人は尊敬しますし、自分もそうならなきゃなって思います」
棚橋がやってきたことは、清宮にとっては“他人事”ではないのだ。それは彼が“名門復興”だけでなく“業界の盟主”の座も見据えているということなのかもしれない。今年24歳。ありとあらゆる可能性が、この若者の前に広がっている。
文/橋本宗洋